熊本霊ライン




道君首名と加藤清正公


2004年08月2日初記載 




熊本といえば阿蘇を思い浮かべる人が多いかもしれない。
この阿蘇の地にはいくつものエネルギースポットがあるが
今回のテーマは熊本市内の西部の特殊地域を中心とした
熊本市の結界をテーマとしたい。

さて熊本の強力なエネルギースポットを調査すること3年。
ここに一部成果を公表していくこととする。
筆者はもともと熊本市東部の住人であったが
近年は西部の池上町に住んでいる。
この地に住んですぐに感じたことだが
氣の流れが尋常でない強さを持ちそして渦巻いている。
正確に把握している訳ではないが
金峰山からの氣の流れと
花岡山-万日山-独鈷山-高橋城山等からの氣の流れが
この地で拮抗し渦巻く感じを強く受ける。

mapion参考地図




独鈷山というのは、高木石材が頂上周辺を公園化し
熊本城を模した石垣を作っている。
ここに登ると敏感な人は気づくと思うが
強い氣の流れが感じられる。
その氣を辿ると万日山方面から高橋稲荷方面の
一直線上に張り詰めている感じだ。
国土地理院の地図を紀伊国屋書店より買ってきて調べてみると
まさに御坊山-高橋城山-独鈷山-万日山-花岡山の五山が一直線に並ぶ。
つまりはレイラインを形成している。
地質的な検討によるとこの山々は金峰山を中央火口丘とする外輪山として
形成されたらしい。そして活断層が立田山方面に伸びている。
調査結果によるとこの活断層の長さは14km程度である。
この活断層は計算上は地震を約800年に1回程度引き起こすらしい。
最近では1889年の熊本地震M=6.3もこの活断層が原因である可能性が示唆されている。
この活断層に蓄積されたエネルギーが強い氣の流れとして感じられるのだろう。

理屈は分かったが地図上でこの五山があまりにも直線状に並んでいるのが驚愕である。
別の理由も考えざる得ない。






ところでこのレイラインの北側の金峰山系の麓より内部を通って河内玉名方面に
古墳が点在している。どうも見て回ったところ千金甲古墳群だけでなく
いくつもの古墳が高橋周辺からの山側にあったようである。
中古住宅の販売を見に行ったところ入り口に古墳の石室が放置され驚いたこともある。

私的な話ではあるが、霊的に感じるところによると従来この五山は、
信仰の中心であり祭祀場であったんだと感じられる。
そして古墳時代より墳墓は神聖なこの地を避け金峰山側に設けていたんだと想像する。
現在も城山には高橋稲荷や聖徳太子堂 御坊山には阿蘇神社末社
花岡山には仏舎利塔等があるが、
古代においても祭祀が行われていたことは間違いないことに思える。
特に万日山には、日本全国に見られるが環状列石ストーンサークルの後が現在も残る。

※この西部地区は縄文時代からの遺跡が到る所で見つかっており
小規模な墳墓は花岡山でも万日山でも御坊山でも発掘されている。

この強力なエネルギーは熊本に有形無形の現象を起こしているようであるが
このことに気づきこれを活用したと考えられる人がいる。
それが土木石垣築城の天才 加藤清正公である。


清正が作った熊本城は難攻不落の名城として知られる。
西南戦争時に花岡山の麓に営を構えた西郷隆盛は熊本城を攻めるも
結局は攻め落とせず、加藤清正に負けたようなものだと語ったという伝説がある。
そういう熊本城だが、石垣だけが守っている訳ではない。

熊本城には強力な結界が作られている。
(真偽は各自の宗教観により判定してください)
清正は石の霊力を知り抜いているだけあって要石による結界は強力だが
石垣の石そのものが特殊な結界を作る役割を果たしている。
この石は花岡山から運び込んだといわれるが奇妙な伝説が残っている。
それは二匹の狐が清正の枕元に現れ石垣採石の場所を示したというものだ。
この熊本城は茶臼山に建造されるがこの熊本城はぴったりレイラインの直線上にのる。
そしてレイライン上の花岡山 万日山の石を持って武者返しを作り上げている。
 
※この時の2匹の狐はそれぞれ花岡山の清藤大明神と
熊本城内に緋衣大明神として祭られることとなる。

清正がこのような霊的な技術をどこから学んだのかはまだ不勉強なところであるが
大正元年に金華山人により編集された「鎮宅霊符神 感応秘密修法集」の巻頭に
肥後守藤原清正公護身念持神という鈴の写真が掲示されている。 ※藤原は姓かばね
このお守り鈴は上部に亀と蛇を配置しているが「これは玄武と朱雀を現している。
朝鮮出兵の際戦勝祈願により釜山にて鋳造されたと鈴に刻印されている。」と
この本には記載されている。
この鈴には正面に「鎮宅霊符神」と刻印されているのが見られるが
金華山人によれば熱心な法華信者の清正公も霊符の力を活用していたと結んでいる。
又清正は朝鮮での籠城の際に三宝荒神の救いにより九死に一生を得て
熊本城築城の際には城の守りとして三宝荒神を祀っている。
この三宝荒神は方位神で熊本では三月荒神(みつきこうじん)として3ヶ月ごとに
東西南北を移りそのために忌み方位が定められている。
この信仰は熊本のみの信仰であるが清正公の熊本結界の名残であろう。
清正公が熱心な法華信者であったことは周知の事実であるが
法華信者も活用している霊符というものは道教に始まる。
この霊符の基本は真氣の象を写したものであり、この力を使うとは
氣の流れを制御することにあり、これ即ち結界である。
今流行の風水術を煮詰めていって結晶となったものが霊符であり
霊符を広げて行き地域の氣の流れまでを制御するのが結界といえば分かり易い。

※東は青龍、南は朱雀、西は白虎、北は玄武として
四方位を守護する神獣として悪魔祓い、悪魔よけの効果を期待する。
亀と蛇とで玄武を顕す。

※「鎮宅霊符神 感応秘密修法集」は復刻版を八幡書店で販売中

清正公は25万石でありながら天下の名城たる熊本城を作るが
その資金作りには才が光る。
公家の下津棒庵を外交担当の重臣として二千石でとりたて、海外貿易を行っていたのである。
熊本で採れた小麦は海外貿易により硝石や鉛などに変えられ、
それら貿易品は更に京に売られ莫大な利益となった。
農民から搾取するどころか領民たちを使役するには農閑期を選び、
しかも義務ではなく賃金を支払い熊本の地と領民を潤わせている。
ここには経済発展(商い)の基本がある。
この際清正は熊本の地に経済を発展させる結界を布いていたと思われる。
そして熊本城完成の後はこの結界を守りの結界に作り変えている。

※筆者は地科学的レイラインを霊的結界として作り上げた物を
霊ラインと呼ぶこととする。



筆者はこの熊本霊ラインの調査に当たっては
京都鞍馬山奥殿 奈良三輪山 熊野 伊勢 宮島弥山
福岡宗像等を回り氣の違いを感応したが
これらの地は自然の玄妙なる気に加えて人々の信仰の力により
繊細なる霊気なるものを感じた。
しかしながらこの地熊本の霊ラインでは
自然のままの荒ぶる気に満ちている。
これがどういうことを表し今後をどう運命づけているかということは
ここに直接に記すことは出来ないが
大地自然の氣と人の氣が交わりてこそ治まるのではなかろうか?

現在(2004年08月)の熊本の産業をみると商業が著しく疲弊している。
壽屋 ニコニコ堂 岩田屋伊勢丹と主要小売り店が閉鎖していったし
産交運輸も経営は苦しい状態らしい。
一時期の繁栄が崩れ去ろうとしている。
熊本市と周辺町村合併もうまくいっていない。
いつまでもこの膠着状態を続けると取り返しがつかなくなると危惧している。
新たに霊的結界の再構築が必要とされる時が来ているのかもしれない。


前述した通り筆者は現在西部の池上町に住んでいる。
この地に住んですぐに感じたことだが
氣の流れが尋常でない強さを持ちそして渦巻いている。
正確に把握している訳ではないが
金峰山からの氣の流れと
花岡山-万日山-独鈷山-高橋城山等からの氣の流れが
この地で拮抗し渦巻く感じを強く受ける。
活断層の蓄積した強力なエネルギーと火山のエネルギーが
拮抗しているのであろうと感じられる。
これを収めるには四神相応の法の朱雀である水を用いるのが最善であろう。
水を池として蓄えこれにより氣を吸収してバランスを取るという方法である。


そう思っているとインターネット検索でこの地が以前は
味生池という池であったことが分かった。
しかも作られた池らしい。
作ったのは道君首名(みちのきみの おびとな)   リンク参照
そしてこれを封じ池を埋めたのが加藤清正公である。
ここに謎が生まれる。
池の効果が如何ほどであり、またこの池をなぜ埋めたのかということである。

さてこの道君首名であるが、
偶然にも私の生涯の調査研究テーマである藤原不比等と同時代の人である。
これも天采であろうか?


※ 朱雀(南)に関して平地ではないのかというご指摘がありました。
四神相応の朱雀に関しては京の巨椋池(おぐらいけ)が有名です。
調べられると宜しいかと思いますが朱雀は氣を溜める意味を持ちます。
さてこの京の池も埋め立てられていて今となっては
京から氣が抜けてしまった原因となってしまっています。
決して南側が平地では四神相応には値しませんので氣をつけてください。



筆者が幼少より崇敬する産土神社は健軍神社であったが
この神社の拝殿右横に天社神社という摂社(末社)がある。
祀神は不明であるが近所の社がいつのころか併合されたという話だ。
宮司は「伝承で『おふどうさん』と呼ばれていました。」と教えてくれた。
おふどうさんといえば、不動明王を想像するが、そんな訳がない。
実は後になってこの天社神社の祀神に導かれて
今回の調査が始まったんだと言うことに気づかされた。
この熊本市西に高橋東神社というのがある。
筆者の自宅からは車で5分の距離である。
ここに樹齢1300年の楠木(くすのき)があり
市指定の天然記念物となっている。
ここの正式な名称は天社宮と呼ばれ
前述の肥後国司道君首名を祀っている。
この道君首名は713/8/26 和銅6年に筑後肥後守となっている。
そして718/4/11 養老2年 56歳で没している。
つまり九州滞在は5年間ということになる。
この間善政をしいただけでなく農業指導も行い
この池上の地に味生池(あじういけ)を作り灌漑を進めている。
歿後にこの高橋の地に天社宮として祭祀されている訳だが
古くは、熊本から筑後にかけて「おぶとさん」として信仰があったようだ。
その道君首名を祭る天社宮の一つが
健軍神社に天社神社として合祀されていたという訳らしい。
つまり「おびとさん」が「おぶとさん」になり
最後は「おふどうさん」に勘違いされてしまったとうことだろう。

さて藤原不比等は659年生まれであり
道君首名は662年生まれであるから3歳年下ということになるが
701年制定の大宝律令の編纂に共に関わっている。
不比等は神道界の大人物であり天皇の系統を一系統に再構築し
物部の歴史や秦氏の歴史を闇に葬った人物であるが
この二人には大いなる繋がりがあったのであろうと思われる。
皇族で無い生身の人間を神に祭り上げることをしたのも不比等が最初である。
談山神社(たんざんじんじゃ)に兄の定慧と共に
不比等の父である藤原鎌足を祀ったのが記録上の生身の人間として神上がりした最初と言われる。
奈良より離れた辺境の地であった熊本に道君首名が天社宮として祭祀されたのも
藤原家の指示によるものであったと筆者は考えている。
そして善政をしいたがゆえに人民により近代まで信仰されてきたのであろう。
道君首名の年表で以下を見てもらいたいが
712/9/19 和銅5年 50歳 道君首名遣新羅大使となる。
713/8/10 和銅6年 遣新羅大使道君首名新羅より帰国する。
713/8/26 和銅6年 道君首名筑後守となる。
新羅より帰国したその年その月にこの辺境の九州に左遷?されている。
これはどういうことであろうか?
あきらかに不比等との確執があったと思える。

※ここまで書いていてふと思ったが、道君首名の境遇は
菅原道真と似ているとも思える。
だとすると天満宮と天社宮は語彙も似ているがこの道真死後の時代(905)に
藤原家によって祭祀された可能性も否定できない。



藤原不比等と道君首名との確執とはたぶん道君首名の出生地に関わる。
道君首名は石川県出身であるが
藤原不比等により封印された神として
秦氏の泰澄が開いた(717)といわれる白山の白山比刀i菊理媛)がいる。
日本書紀にも一行しか記載されていない謎が多い神であるが
これは不比等の隠蔽によるものであると考えている。
そしてもともとの信仰は泰澄以前からあったと考えられる。
秦氏は藤原不比等に迎合し神名統合および多名と隠蔽に一役買っているが
泰澄以前より白山菊理媛と道君首名とは深い関係にあったものと考えている。
そしてこれゆえに道君首名は地元と正反対の九州の地に封じられたのであろう。

そういえば 偶然ではあろうが道君首名が祭祀した熊本の味噌天神のすぐ横に白山通りがある。
どういう経緯でここに白山という地名があるのか由緒を知らないが
筆者はそこに霊的感応があったのではないかと思う。


筆者の経験上は不比等に最初行き当たりその後道君首名を知ることになったが
霊的には健軍神社での天社神社との邂逅より導かれてきたんだという感が強い。

道君首名はこの熊本の霊ラインを制御し熊本を当時として近代化した大人物であるのに
熊本の民から忘れ去られようとしていることに対する警告を感じる。
道君首名が築きあげた霊ラインを加藤清正が手を加え守りに強い結界としている。
結果として西南戦争で最大の戦地となり熊本市中心部が水浸しにも焼け野原になったことは
熊本の明治の復興に対する足かせとなったのは事実である。
そして現在も発展に対する滞りが発生している。
にも関わらず清正公のみが熊本の地で祭り上げられていることに対する残念さを
筆者は感じている。
この清正公が作り上げた守りの結界を解き放ち
外に開放された熊本市とし経済的発展を促したいという想いがある。


※熊本城攻防戦は50日の長きに渡ったが、1877年2月19日熊本鎮台は
薩摩軍の隠れ家になることを防ぐために「射界の清掃」という焦土作戦を決行した。
これにより民家は焼き払われ城下の65%の民家が焼き尽くされた。
また3月26日今度は薩摩軍により井芹川の石塘堰を止められ
井芹川 坪井川の水があふれ城下は水浸しとなったのである。
熊本の民百姓にとっては家を焼かれ田畑荒らされるという最大の人災であった。

西南戦争が熊本にもたらした災難を熊本人なら忘れてはならない。


道君首名メモ


  

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