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吉田一氣の神霊背景 一刀両断




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114 天社宮の御神体と夫婦ゑびす 吉田一氣  - 2008/09/28 22:08 -
先日宮総管理様のご好意により
天社宮の御神体を拝観させていただき
感じるものがありました。
今日 人吉の九日町の夫婦ゑびすの
御神体を拝観させていただきましたが
やはり相通じるものを感じました。
人吉に複数の天子宮が存在し
ゑびす信仰があったり雛人形を飾るのは
平安以降にまで道君首名公を信仰する流れが
この地にもあったからだと思いました。
またこの雛人形及び夫婦ゑびす神の古い形の御神体を
山江村山田の別府祇園堂 (びゅうぎおんどう)に観ました。
水の神様を祀り『御利益:化粧の神様・皮膚病』となっていますが
祇園と命名された方は祇園が少彦名神を祭ることをご存知だったと考えると
感慨深いものがあります。


111 先日は失礼致しました。 teruyuki(照幸)  - 2008/05/19 22:54 -
高橋東神社に祀られている御神体と高橋西神社に祀られている御神体はご覧になられていかがでしたか。
お役に立てましたでしょうか。
私は、佛系ですので余り神系には興味はありませんけど、宮総管理としてのお役目だけは果たさせて頂いておりますよ。

高橋東神社は元々はもっと大きくて拝殿も広かったのですけど、河川工事に伴い神社の敷地が狭くなった為に、本来の向きである西向きから南向きへと建て替えられているのですよ。
その痕跡を取り除くよりも元々存在していた位置を後生に残す為に敢えて本殿の敷石をそのまま残してあるのですよ。

私どもが幼少の頃は良く高橋東神社や高橋西神社で悪戯をしながら遊んでいましたけどね。
今は神社自体が小さくなってしまいましたけど、地元では天じゃさんとして親しまれ市民の憩いの場となっていますよ。

吉田さんとも現にお会いしてお話しする事が出来た事を嬉しく思っていりますよ。
只、私が受けていた御佛の霊度を若干受けられていた様に見受けられましたけど、私は自然と共に生きている為自らの心を無の状況に持たれると尚一層神々の姿を心の中で見る事が出来るかと思われましたよ。
お会い出来て本当に楽しく過ごさせて頂きました。
それではまだまだ未知の世界が存在している為に自らの力で体験される事を楽しみにしていますよ。


110 teruyuki様 ご指摘ありがとうございます 吉田一氣  - 2008/05/11 23:18 -
加勢川と坪井川ではなく、井芹川と坪井川という指摘ありがとうございます。
間違えて記載していましたので変更させていただきます。
また電話番号の件ですがお氣使いありがとうございます。
近いうちに電話させていただきたいと思います。
宜しくお願いします。


109 高橋東神社に関しての記載 teruyuki  - 2008/05/10 13:31 -
「この熊本の天社宮もやはり加勢川と坪井川の合流する三角州に位置する。
この二つの川は独鈷山を挟んで流れこの地は氣が集中するところである。
ところでこの独鈷山の先には熊本霊ラインの氣の流れをじゃまする金峰山からの霊氣を溜め霊ラインに作用させるべく道君首名公が味生池を造っている。」

と記されていますけど、加勢川と坪井川ではなく、井芹川と坪井川の合流する三角州に位置する所が高橋東神社(通称:てんじゃさん)と地元では呼ばれ親しまれていますよ。

再び高橋東神社に再来された時には、記名簿の裏に私の携帯番号を記載しておきますのでご連絡下されば御神体を拝観させてあげますよ。
私は徳永と書いて携帯番号を記しておきますね。
またのご来訪をお待ちしますよ。


108 teruyuki様 貴重な情報ありがとうございます 吉田一氣  - 2008/05/10 07:51 -
宮総管理をされているということで
維持管理のご苦労に感謝します。
ところで宮代に祀ってあるとのことですが
不勉強で申し訳ありませんが
宮代とはどこのことを言うのでしょうか?
非常に興味があります。
夫婦で祀られていますよとのことですが
それは人吉の夫婦えびす像を思い起こさせます。
是非拝観したいものです。




107 宮代とは佛系の呼び方であります。 teruyuki  - 2008/05/10 02:13 -
画像にある正面から見た社の奥殿の中にある小さなお社を宮代と申します。
即ち、鍵がかけられ格子の先に小さい社が祀られていますよ。
その社には中を見る事が出来ない様に御簾をかけてありますけどね。
その宮代に夫婦で祀られているのですよ。

私は東密系である為、神系の事は余り気にしない様にしていますけど、設置されている賽銭箱や人形供養の祭りに使う火台の蓋に各々梵字か書かれているのは全て御佛を示すものなのですよ。
賽銭箱に書かれているものは、愛染明王を意味し縁結びを示します。
また、人形供養の火台の蓋に書かれているものは、不動明王を意味していますけどね。
但し、梵字一つで私東密系は生けるものの生死を司る事が出来るのですよ。
今度お越しになられた時に奥殿に祀られている御神体を開帳してあげますよ。


106 teruyuki様 貴重な情報ありがとうございます 吉田一氣  - 2008/05/10 00:38 -
宮総管理をされているということで
維持管理のご苦労に感謝します。
ところで宮代に祀ってあるとのことですが
不勉強で申し訳ありませんが
宮代とはどこのことを言うのでしょうか?
非常に興味があります。
夫婦で祀られていますよとのことですが
それは人吉の夫婦えびす像を思い起こさせます。
是非拝観したいものです。




105 高橋東神社の向き teruyuki  - 2008/05/08 16:26 -
高橋東神社は河川工事により現在の方向(南向き)を向いて改築されました。
宮代に祀ってあるのは夫婦で祀られていますよ。
もし宮代のご神体を見たいのであればご連絡下されば何時でも奥殿を開いてご開帳してあげますよ。
昔(私が幼少の頃)には、楠の下が本殿でその前に前殿がついた結構大きい建物でありました。
河川工事に伴い現在の建物になりましたけど、敢えて昔会った基礎をそのまま残したのは、元々の社殿は敷石が示す西向き方向に建てられていた事を示す為に残されています。

私は佛系ですので、神系は余り興味がありませんけど宮総管理を託されている為に一筆書かせて頂きました。


103 八方祓い縁起 吉田一氣  - 2008/03/23 23:57 -
日月星の神秘と方位の示す先を解き明かしたくて
八代の妙見宮 霊符神社 龍王社に参拝してきました。
その結果かいくつかの神社とのめぐり合わせがありました。
まずは相模の寒川神社ですが出雲系の神社で
八方除けのご利益があるといわれています。
ここの八方除けのお札には日月星の文様があったそうです。
神社の向きはgoogleで調べてみると南南西方向です。
ちなみに式内社で下總國千葉郡 寒川神社と云われている
二宮神社も寒川神社と同じく南南西方向であり
この方位は地形状の偶然でなく意味があることと思えます。
この神社と縁のある武蔵一宮の氷川神社ですが
城南宮と同じ南南東向きになっています。
そして寒川神社と氷川神社は方位に関して
合わせ鏡のようなものだと感じます。
ただ城南宮も含めてこの方位となったのは平安以降だと思います。
(ちなみに氷川神社系では氷川女体神社は南東になっています。)
さらに氷川神社に分霊奉祀したという式内社の出雲國大原郡 斐伊神社は
寒川神社と同じく南南西方向(南西に近い)でした。
そういうわけで氷川神社がなぜ南南東向きになっているのかですが
やはりまだ残念ながら解を得ていません。
ただ城南宮にも合わせ鏡となるもう一社があったような気がします。








102 ありがとうございます 目黒の案山子  - 2008/03/15 17:39 -
吉田様
大神神社の由緒について、詳しい解説をありがとうございました。有能な霊能者の方ならではの説明に凄い迫力を感じます。
城南宮の件は、実は私も不思議に思ってました。
また、別の機会に聞いてみます。

では、また


100 城南宮が南東を向いている件について 吉田一氣  - 2008/03/15 13:02 -
No87で城南宮が南東を向いている件について
拝殿の後ろは、平安京の移築前の大内裏がある方角との指摘がありましたが、
どうしても平安京の移築前の大内裏がどこにあったのか分かりません。
もしかして長岡京の大内裏ということになるのでしょうか?
調べる限り平安京の大内裏はちょうど城南宮の北方向になるようです。
また長岡京であるなら西になるように思えます。


97 三輪明神と石上 解説 吉田一氣  - 2008/03/14 02:07 -
神社の格というものまでには考えが至っていませんが
石上神宮は物部の神社であり布留−布都斯−布都−宇摩志麻治命と繋がる
物部氏の祖を祭祀しています。
この系統で神霊界に繋がるのが素盞鳴尊 饒速日命だと感じています。
さて三輪山はもともと神道でいうところの神社ではなく
それより古くそれも超古代からの祭祀場であり
太陽を祭る磐座祭祀にそれが繋がり
その磐座もその後の祭祀した部族に叩き壊されています。
また海神族が別の磐座祭祀を行い三つの磐座を祀りました。
それをさらに物部が塗り替えることを行っているようです。
従って出雲 大和 日向族の気配が複雑に絡まっています。
このために大物主神が前時代の名残りの蛇と言われたりもしています。
饒速日命だけでなく天照大神 大國魂神の氣も強く残っています。
その上に大己貴神 少彦名神 事代主神が勧請されています。
さらに空海が三面大黒で封印をし、神宮寺が建てられ経文で封印がされています。
今でも三輪の講で般若心経をあげられる方を良くお見受けします。
そういうわけで怨念も渦巻くし一筋縄でいかない奥の深いところです。
ただ石上に降臨される神が今はこの三輪を統率されているように感じます。
従って石上神宮で禊をして三輪に参拝したほうがいいように私は思っています。


96 三輪明神と石上 目黒の案山子  - 2008/03/14 00:48 -
吉田様
またもや詳しいコメントをありがとうございます。

>ただ石上神宮にまず参拝してここで三輪参拝のお伺いを
>されることを勧めます。
>私の場合三輪に初参拝したのは石上神宮に数回参拝後で
>許されたのは齢44歳にしてです。

ここはよくわかりませんでした。
あの江原さんによると、三輪明神は誰でも受け入れる懐の大きさ
を感じ、石上宮はその反対に、かなり厳しい波動があるとの事で
した。私が彼に影響され過ぎているのかも知れません。
確かに、恐らく本来の太陽信仰の中心である三輪が、武の大神・石上宮より、格が上そうなのはわかりますが。

では、また


95 目黒の案山子さまへ 吉田一氣  - 2008/03/14 00:32 -
感応があるから信仰するのではなくて
思いが先にあって感応を受けるのが道理だと思います。
従いまして感応といいましても単なる思い込みではないかというそしりを免れません。
でもそれでいいのだと思います。
我々に霊界を証明する義務があるわけではないのですから。
それよりも見えないものを信仰し祈ることが尊いのです。
なまじ見えるということは純粋な思いを削ぐ結果となります。
この件に関しては先師が言われているホームページを見つけましたので紹介します。
http://www.nippon-bunmei.jp/tsurezure-47.htm
【霊的な現象が見えるとか見えないことに拘ることはない。
見えることでかえって判断を誤ることがある。
見えないことで真剣に神に祈る心を持つ。その心を大切にしなさい。】
まさしくその通りだと思います。
さて石上神宮と三輪の件については、あくまで私見ですが、
思いが強かったりあるいは親族に病気がある場合等に
おかげを受けてその為に体調が不調となったり氣が高ぶってしまうことがあります。
目黒の案山子様の場合は思いが強いのではないかと推察します。
ただ石上神宮にまず参拝してここで三輪参拝のお伺いをされることを勧めます。
私の場合三輪に初参拝したのは石上神宮に数回参拝後で許されたのは齢44歳にしてです。
ところで孔子が「鬼神を敬して これを遠ざく」という言葉を残していますが
それは孔子が葬礼に重きを置き因果を先祖と子孫との間に見たからです。
先祖を敬えば「招魂再生」してそれが子孫繁栄を約束するという「孝」の思想が基本であり
その「慰霊」には鬼神は関与しないとの判断からです。
ただ日本神霊界は過去も今からも決してそうではありません。
主神の下に産土神や氏神の系統が漏れなく繋がり
それが自らの霊統血縁と居住する土地に密接に繋がっています。
人は神を敬い神は御魂の恩頼を授け、
神人共に幸いして神人共に弥栄であることが日本神霊界のあり方です。


93 写真をありがとうございます 目黒の案山子  - 2008/03/13 22:33 -
吉田様
また早々とコメントいただき、その上貴重な写真まで。
誠にありがとうございます。
三輪明神の二の鳥居の額が、あんなにカラフルだったとは!
バックの青空は、まさに「あおによし」の青ですね。
巻向(まくむき)王朝時代の青空が、
あそこにいまだに閉じ込められているようです。
石上神宮の御光も素晴らしいですね。
私は伊勢外宮のものと同様、目に見える光の素晴らしさ以外、
何も見えませんが、石上神宮に参拝させていただく時は、
天気が悪いか、あの唐風拝門の反対側にある、
古いお社群の太古の波動にやられて、いつもびくびくしています。
まず、この大神神社・石上神宮参拝時には、
前日よく眠れません。その筋の方に聞くと、行く数日前から、
私が既に神社に気を遣るものだから、各神社の下位眷属を呼び寄せて、
彼らの「チョッカイ」の犠牲になっているそうです。
何とも情けないですね。
最後の一連の写真群は、コメントするのが憚られます。
外宮の次あたりから、もう背中・足に寒気が走りますので。
久しぶりです、この感覚。

では、また
ありがとうございました。



92 おいでやす 目黒の案山子様 吉田一氣  - 2008/03/13 22:32 -
観応の範囲については、自らの力で降ろせる訳ではありませんので正直良く分かりません。
その時々によって人生のテーマに沿って感応している訳で
いつでもどの神社でもというように観応があるわけではありません。
生きる目的でもある大願を持ち祈願している以上は、神霊界にも強く願っています。
私の言霊奏上の中身は、
「素直で思いやりのある心を広め、一人が皆を、皆が一人を思いやり
犠牲には追悼の気持ちを貢献には賛歌の気持ちを持ち
寛恕と和でもって國を治めていくこと。」それだけです。



91 ありがとう御座います 目黒の案山子  - 2008/03/12 23:36 -
早速ご回答いただいて、ありがとう御座います。
吉田様が離れられなくなる神社とは、・・・凄そうですね。
日枝・山王系、住吉・竜宮系、不動・大国・出雲系、
祇園・スサノオ系、宇賀・稲荷系、天祖・天孫系、
海人・妙見・白山系?・・・
このカテゴライズが正しいかどうか、私にはわかりませんが、
吉田様は、無差別にかなり広範囲に感応なさる方なのですね。
恐れ入りました。
以前既に質問させていただいたかもしれませんが、
霊能者にも霊系があり、龍神・天狗・稲荷系の
3つに大別でき、下位の霊系の霊能者は上位の神霊を感応
できないると聞いたことがあるのですが、どうなのでしょうか?

では、また


89 ウガヤ朝考察 吉田一氣  - 2008/03/10 22:08 -
鵜葦草葦不合命(ウガヤフキアエズノミコト)についてですが
ウガヤ朝が存在したか?またウガヤ朝と白山朝とに繋がりがあるのか?
断言できる意見を現在は持っていません。
ただ神武天皇に近い時代に綿津見神を祭る海神族である阿曇族や宗像族が
九州では勢力を持ちこの協力のもとに神武系が勢力を拡大したようです。
実は宮崎に鵜戸神宮という日子波瀲武鵜葦草葦不合命を祭った神社があります。
私はこの神社に魅せられてしばらく宮崎に住んだことがあります。
この神社には綿津見神が豊玉姫の神霊として降臨されています。
正直なところこの鵜戸神宮で鵜葦草葦不合命の神霊に感応したことがありません。
また青島神社には山幸彦(ヒコホホデミノミコト)が祭られているといいますが
ここは非常に強い感応がある神社です。
どうも鵜葦草葦不合命との感応が無いためか神武天皇を祭る神社(橿原神宮等)にも
あまりはっきりとした感応がありません。
ここに私が感じる神霊と天皇系の初期の霊統との境目があるようです。
ところで神武天皇を祭る神社は日本で熊本県に一番多いようです。
http://homepage1.nifty.com/o-mino/page311.html
神武天皇が実在した人物とするとこれ以降の血統は神でないということで
感応が薄いことにも納得出来ます。
神武は複数いた可能性も感じています。
問題は鵜葦草葦不合命ですが人でも神でもなく
ウガヤ朝のことを人格化したのかもしれないとも思えます。
天皇家と山の神を結びつけるために大山祇神の子の木花咲耶姫が取り込まれ
天皇家と海の神を結びつけるために豊玉姫命と玉依姫が出てきますが
実際のところ豊玉姫命は鵜葦草葦不合命に繋がり
玉依姫は神武天皇に繋がるのだろうと思います。
これが人物なのかその王朝の系統を現すのかは分かりませんが
それできっと鵜葦草葦不合命と神武天皇は別の系統なんでしょう。


88 金毘羅さま 再追記 吉田一氣  - 2008/03/04 19:28 -
サラスヴァティー クンビーラ インドラ ラクシュミーなど
ヒンドゥー系の仏教神は日本に数多く根付いています。
そして金刀比羅宮は崇徳天皇時代以前は
ヒンドゥー系の仏教神の官毘羅大将等を主祭していて
それが崇徳天皇時代以降に「祟る事から怨霊と呼ばれた崇徳天皇」に合せて
三輪の祟り神と呼ばれる大物主神も祀る様になったのではないでしょうか?
ただもともとこの地には物部の気配がありますし
睦魂神社の背後に大物主神と結びつけるどなたかの霊が、
祭祀せられているように思えますからそれらの複合要因があったのでしょう。
大物主が祟り神とも呼ばれる謂れは、
神武以前の日本の黎明期の王朝交代に起因するようですが、
その大物主を祀る三輪山には空海が三面大黒天で封印を行った気配が残っています。
同様にして象頭山はやはり空海が官毘羅大将で封印を行ったように感じています。
他にも神山と呼ばれていた可能性がある焼山寺にも三面大黒天で封印がなされています。
空海の母方は阿刀氏で物部の血を引いています。
ということは封印という言葉よりも鎮魂という言葉の方が適切かもしれません。


87 ありがとう御座います 目黒の案山子  - 2008/03/04 01:05 -
吉田様
いつもの様に、早々とご返事いただきまして、また、
詳細にご説明いただいて、誠にありがとう御座います。
確かに、琴平は鰐の神というのは聞いたことがありました。
三輪からの勧請の物語の背後には流刑の皇族がおられたとは、
何とも悲しい話ですね。

さて、ご報告と1つ質問があります。
1.京都・伏見の城南宮の件
同社の本社殿が正南面していない件ですが、
宮司のお一方によると、拝殿の後ろは、平安京の移築前の大内裏
がある方角だそうで、それで南面していないということです。
2.ウガヤフキアエズ尊
記紀では神武天皇の父君と伝えられ、竹内文書では、現在の皇統の
前の日本の王朝の名前と伝えれています。鹿児島から宮崎にかけでしたか、
高千穂の辺りには、この方をお祭りする神社があると聞きます。
京都の山科にも一社あると聞いていますが、記紀で使われる当て字「鵜草(うかや・うがや)」を
冠する神社は、ネットで調べられる範囲では全国に一社しか
無いようです。
それは、福井・勝山の平泉寺白山神社に程近い田圃の中にあります。
この「ウカヤフキアズミコト」について、何かお感じになることは、おありですか?

直ぐにご返答いただかなくても結構です。

では、また。


86 金毘羅さま 追記 吉田一氣  - 2008/03/01 19:29 -
昨日金刀比羅宮について記載したことについて問題ないかを伺うために、
今日熊本の琴平神社に参拝してきました。
ここは拝殿に大きな天狗の面が掛けられていて金刀比羅と天狗の深い関係を匂わせています。
ちょうど一日ということもあり参拝すると同時に偶然神主が
太鼓を叩きながら祝詞を挙げられ始めましたが、
もとが寺院系だったためか、お経に近い韻律でした。
福岡の宮地嶽神社とか天河大弁財天社の祝詞に似ています。
さてこの琴平神社の副祭神はなぜか少彦名神となっているのですが、
金刀比羅宮では少彦名神は睦魂神社に祭られているようです。
金刀比羅宮と大物主神との関係を知るには
睦魂神社についてもう少し調べる必要があるように感じました。
たぶんこの睦魂神社の背後に大物主神と結びつけるどなたかの霊が
祭祀られているように思えます。


84 目黒の案山子さま お久しぶりです 吉田一氣  - 2008/03/01 01:36 -
メールありがとうございます。
筆者のホームページは知り合いの霊的感応者にすら読みづらいと敬遠される程で
とても読者の興味を引くものとは思えません。
あくまで自分の備忘録程度のものです。
そういう意味では読んでくださった目黒の案山子様には感謝します。
さて昨年より確かに霊界には大きなうねりを感じています。
しかしそれを鎮めようとするさらに大きな力の存在も感じています。
過去に遡れば大正10年にも浅野和三郎氏が立替の気配を先走って
喧伝しましたがぎりぎりのところでかわされました。
また金井南龍氏や佐田靖治氏が言われていた神界グループの
少しばかり過激な仕組みも均衡を保ったままにあるようです。
日本神霊界は多様性を尊ぶために生命・神界霊界と複雑な広がりを示してきましたが
広がるだけでなく収束もし、当然ながら進化もしていきます。
宇宙誕生と星の広がりとブラックホールによる収束とまさに相似です。
私は日月神示をはじめいくつかの神示啓示などを愛読していますが
本物はそこに表現される神霊の民への思いの暖かさに心が満たされるのを感じます。
御魂の恩頼をいただくといいますか、直日霊 真我の発露を感じます。
その時現われる諸霊が伝えることは、それが目の前に迫っても
決してあわてる必要はないということです。
道を見定めていくことが大切です。
さて願掛けですが人間とは弱いもので私事ながら歯が痛いというだけで
涙ながらになんとかなりませんでしょうかと産土神に願ってしまう自分がいます。
いつもは天下国家の安寧祈願を続けていても常に弱さを隠しながらの祈願です。
前回もある神社の磐座に対峙し激しい拒絶に合い、びびりまくりで
次に拒絶されたら即逃げるしかないと考える情けない自分を励ましながらの神業でした。
勇ましさというのはホルモンバランスを大きく交感神経緊張に振ることですが
この状態で高級神霊に感応することは困難でしょう。
弱さの自覚とそれゆえの願掛けを産土神は暖かく受けてくださいますよ。
ところで讃岐琴平の天狗団ですか?
あの時代 九州では阿蘇神界 英彦山幽界が活性化されていた時ですね。
この讃岐の琴平に物部一族の足跡はあるものの
金刀比羅宮は大物主神を祭る三輪とは全く違う次元のものです。
参拝したときの事を思い出すと、
祓戸社から旭日社に向かって歩く時に感応が強く非常な喜びに満たされました。
ここでもっとも強い感応があったのは奥宮威徳巌でしたが、
ここが天狗界に繋がる入り口だと思います。
金刀比羅宮は結局のところ金毘羅(クンビーラ)だと思います。
金毘羅は水神で鰐型の龍です。三輪の場合は蛇型の龍です。龍蛇神かもしれません。
違いは足の有る無しということでしょうか。
龍蛇神は足はありませんが頭の横に鰭があります。
金刀比羅宮が特に大物主神と結び付けられるのは
何故かは調べていませんが崇徳天皇由来のような気がします。
この件は調べて後日報告したいと思います。



82 ご無沙汰しております 目黒の案山子  - 2008/02/29 16:23 -
吉田様
大変ご無沙汰しております。お元気でいらっしゃいますか?
「伊勢白山道」さんのところの貴コメント読ませていただきました。
ご紹介した後、いつ書き込まれるのか、楽しみにしていました
(煽るつもりはありませんでしたが)。伊白さんは本を出されるそうですが、吉田様もスクナビコナ大神様関連でどうなんでしょうか?
それとも、大神様御自身、「縁の下の力持ち」に留まられる御意向なのでしょうか?

あちらのブログでは「願掛け」についてのご質問でしたが、私も不思議に思っていることがあります。
平田篤胤の『仙童異聞』の中で、天狗・山人達が、
全国の神社で受け付けている人間たちの膨大な「願掛け」を、
全国津々浦々の幽界のネットワークを利用して
願掛け処理に奔走している様子が生き生きと描写されています。
あの時代の天狗の中心地は、四国・讃岐の象頭山・琴平神社だったようです。
そこで質問なのですが、公式には讃岐・琴平は奈良・大神神社の大物主大神の勧請のはず。
『仙童異聞』には三輪明神の話は一切出てきません。
江戸で書かれ、常陸・岩間山の天狗団が中心になっていたのに、
四国・讃岐を重視していたのが印象的でした。
三輪山の狭井神社の霊水はスクナビコナ様のもののはず。
伊白道産は、「願掛け処理は先祖霊のみ」のお立場ですが、
上記の勧請と掛け合わせて、何かお感じのことはおありですか?



80 79 龍蛇神について追記 吉田一氣  - 2008/02/11 16:55 -
伏見稲荷の場所はもともとは藤森神社があり
藤森神社は紀氏・賀茂氏が祭祀していたと思われます。
賀茂氏は出雲の風土記では意宇郡舎人郷 賀茂神戸と記載され
島根県安来市には賀茂神社もあるなど
葛城の前に出雲を本貫としたのではないかとも云われています。
葛城一言主神と出雲の事代主命の混同も
出雲に縁がある賀茂氏が葛城に住んだからだと思われます。
その後に賀茂氏は京都にも進出して来たのだろうと思います。
ところで出雲では神在祭にてまず最初に稲佐の浜に上がったセグロウミヘビを
龍蛇神としてお迎えすることから始まります。
出雲大社の分霊を祀る「常陸国 出雲大社」では
祭神に大国主命だけでなく龍蛇神も祭っているようです。


78 かわしま様貴重な情報ありがとうございます 吉田一氣  - 2008/02/09 02:53 -
「薬力大神」に少彦名神を感じられた方がいらっしゃったのですね。
不思議です。
ところで龍蛇神というのは古くに賀茂氏が祀っていた神霊です。
蛇は水や雷と繋がりますが、出雲ではウミヘビを龍蛇神に見立てています。




77 龍蛇神 かわしま  - 2008/02/05 20:21 -
吉田様、龍蛇神というのはどのような神なのですか。
水辺に関係があるとかそういうことでしょうか。


76 薬力大神 かわしま  - 2008/02/05 20:18 -
たしかに「薬力稲荷」なのですが、薬力社のことをよく知る
土地の方が言うには、あそこが伏見稲荷では一番古い場所だと
いうのです。まつられているのは「薬力大神」といい、それは
粟嶋明神=少名彦大神だといわれてました。
真偽のほどはわかりませんが・・・。ただそこにおまいりした
おじさんが後に「お灸の器具」を作製し沢山の人の利益になった
のは不思議というよりほかありません。





74 目黒の案山子さまへ 吉田一氣  - 2008/01/25 23:10 -
京都は湧き水が多いし水処ですが、熊本にも美味しい湧き水が多いですよ。
一度遊びにこられてください。
京都では八坂神社の祗園水 松尾大社の神水亀の井(大量に汲む人居てマナー良くないですね。) 
清水寺の音羽の滝 貴船神社の神水などは記憶にあります。 
城南宮の菊水若水は庭園の水までも同じ水と聞いていたけど手水舎の水は違うのか苦味を感じました。
拝殿左手の水は美味しかったのですが同じ菊水若水なのでしょうか?
京都ではありませんが草津の小汐井神社の湧き水は、
知り合いがそばに住んでいたので良く飲みましたが美味でした。
丹波出雲大神宮の真名井の水と三輪狭井神社の薬井戸はまさに神水だと思います。
ところで若狭の真名井とは籠神社の裏山の真名井の水のことなのでしょうか?
籠神社には行ったことがあるのですがこの真名井には行けなくて 残念ながら飲んでいません。
伝承では若狭白石神社の鵜の瀬と繋がっているということらしいですが、
いずれにせよ遠敷明神の伝承とは別に東大寺と若狭に何らかの繋がりがあったと考えるべきでしょう。
調べてみるとご存知とは思いますが、
お水取りを始めた実忠和尚が若狭神宮寺から東大寺に出向いたという経緯から
この話が出来たように思えます。


73 水脈は霊脈? 目黒の案山子  - 2008/01/21 05:52 -
横鍼でスミマセン。

伏見稲荷の「滝」といえば、「五社の滝」というのを
聞いたことがあります。
何でも、有数の修行場で、伏見稲荷の別所とか。
この近くの山の中に超巨大なお堂を持つ新興宗教の創始者の方も
ここで修行をされたとか。
京都も「水」と関係の深い場所が多いですが、特に伏見は水処。
城南宮も「菊水若水」という名泉があり、冬には暖かな、夏には冷たい水があります。同じ神功皇后を祭る桃山の「御香宮」も
名水で有名です。福井・足羽神社も「福井神」・井戸の神をお祭りですね。

ただ、信じられないのが、3月に奈良・東大寺の二月堂で行われる
「お水取り」の儀式で、若狭・真名井から来る水がこの城南宮・
菊水を通って二月堂に行く、と言われているそうです。
バチが当たるかもしれませんが、後世の権威付けに作られた挿話ではないかと思うのですが、どうお感じですか?


72 かわしま様へ 吉田一氣  - 2008/01/19 03:06 -
伏見の薬力稲荷ですか。
以前薬力稲荷には調べに行ったことがあります。
薬力滝があってこの小さな滝が太古には神籬になっているように思えました。
ここには伏見稲荷が出来る以前より古く祀られていた龍蛇神が居られる様に感じます。
もともとは場所を移転させられた藤森神社が祀っていた神霊ではないでしょうか?
この龍蛇神の神名はしいて言うと別雷命になるかと思います。






71 目黒の案山子さまへ 足羽神社について 吉田  - 2008/01/15 23:44 -
足羽神社のホームページ見てみました。
確かに「三光の紋」ですね。
タウンページにその意味が載っていました。
http://nttbj.itp.ne.jp/0776360287/index.html?Media_cate=populer&svc=1303
ところで雑談ですけれども
この足羽神社で祭られる祭神の一柱の波比岐神ですが、
熊本県玉名の古社の疋野神社の祭神になっています。
この疋野神社は古代豪族日置(ひき)氏の氏神社です。
というわけで以前ここの宮司に日置氏と波比岐神に繋がりが
あるのでしょうかとお伺いしましたら
明治に天皇家に繋がる神様を祭らないと存続できなかったので
波比岐神を祭祀しましたとの回答でした。
つまりは呼び名が似ているだけということでしょう。
全国にこうやって祭神が代わった神社が無数にあると思うと
胸が痛みます。






70 福井・足羽神社の神紋 目黒の案山子  - 2008/01/13 23:52 -
吉田様

早速のご返信、ありがとう御座います。

伊勢外宮の「多賀宮」とご縁が深いとは、これはまた興味深いですね。公式な御由緒では、多賀宮は「外宮の荒御魂」をお祭りしている、
ということですが、「伊勢ー白山道」ブログ主様も吉田様も、
「それだけではない」とお感じのようですね。

また、私の場合、いつも後になってから「しまった」と後悔するのですが、
福井市内には、「足羽(あすわ)神社」というところがあり、
恐らく越前の一之宮で、継体天皇をお祭りしています。
勝山訪問時の生き返り、少し気にはなっていたのですが、
あまり神社仏閣に参拝しない方が「身体・健康にはいい」と
言われていたので、行きませんでした。
そこで、先日発見したのですが、同神社の神紋は、
京都・城南宮と(少しモチーフが違いますが)同じ「三光の紋」。
神功皇后の御旗の御印をその起原としている点では一致しています。ご参拝しなかったことを、凄く後悔しています。
「また、出直して来い!」という意味ならば、それでよいのですが(笑)。




69 目黒の案山子さまへ 吉田一氣  - 2008/01/13 21:29 -
丁寧なメールありがとうございます。
今年が良き年となるように願っています。
心配していましたが白山を遥拝出来て良かったですね。
きっとご縁があるのでしょう。
ところで私も初見参の神社に向かう時に
虹が出迎えてくれることが何度かありました。

今年は早々に伊勢参拝もされたとのことで
懸ける熱意が伝わってくるようです。
私も参拝時に伊雑宮にはなるべく出向くように心がけています。
伊勢では外宮の古来高宮と呼ばれていた多賀宮が個人的な縁としては非常に感応が強いのですが、
氣が立っているのはなんといっても内宮です。
これは神霊的なものだけでなく大地の氣も関与しているのでしょう。
両宮共に正面からだけでなく側面から回り込んで参拝して
じっくり納得できるまで祈っています。
あまり人が多いとどうしても祝詞も声を出しづらいし
他の人にとっては迷惑ですよね。
でも意外と参拝する瞬間に人が途切れていなくなる事が多く
守護していただいている神霊に感謝しています。
伊雑宮は『先代旧事本紀大成経』がらみで知ったのですが
伊雑宮・外宮・内宮をそれぞれ日神・月神・星神の宮とする説は
興味深い説だと思っています。
ここ伊雑宮は小泉太志命先生を輩出されていますし
霊的に特殊な役割をしているように思えます。
ただ国家安寧を祈願するには諸所もろもろの経緯を別にして
今は個人的には内宮に重きを置いています。
私は今年は5月に参拝予定です。











68 明けましておめでとう御座います 目黒の案山子  - 2008/01/11 23:19 -
吉田様

明けましておめでとう御座います。
旧年中は丁寧なコメント、誠にありがとう御座いました。

昨年のクリスマス前に、福井・勝山の平泉寺白山神社に行ってきました。今年は雪もなく、移動が大変楽でした。
また、季節柄諦めていたのですが、帰路は天気もよく、
勝山付近からと福井市内から白山を遥拝できました。
その前後の日は雨・雪でしたので、本当に奇跡です。
吉田様が白山神界へ私の願いをお託してくださった
のではないでしょうか?(笑)
そうならば、誠にありがとう御座いました。

この件では、他にも色々書きたいことがあります。
まず、勝山市内に入る列車の中から、同市内を徒歩で移動中
ほぼずっと、虹が見えていました。
特に、私がある場所を探している時は、
その前方にずっと見えていました。
あれほど長時間虹を見ていたのは、生まれて初めてです。

また、探していたあるものも地図も手ががりもなく、
偶然見つけることが出来ました。不思議な旅行でした。

城南宮の件ですが、
本殿の向き等については、同社の神官の方には
聞きそびれてしまいました。確かに、南面してませんね。
また、本殿を囲む7つの社については、
昭和期に火災があったとき、西側の3社は焼け残ったが、
東側の4社は焼失し再建されたとのこと。ご祭神については、
その神官は「合祀の仕方や選別も含め、特に意味はない」と
仰っていました。

この件は、また同社参拝の機会があったら、再度神職の方に
聞いてみます。

今週7日には、伊勢に参りました。
外宮→茜稲荷社→猿田彦→内宮→伊雑宮と、参拝しました。
今回初めて伊雑宮まで足を伸ばしました。
あいにくの雨となりましたが、以前ご紹介しブログの方は、
この伊雑宮に、天照大御神の正御神霊がおいでになるとの
立場です。
内宮は、あくまで皇室の祖霊神(人格神)が祀られている、とか。
吉田様は、どう解釈されますか?

前日の6日、京都の丹波地方で震度2の地震がありました。
あまり、地震がないところなので、不思議に思いました。
亀岡が一番揺れたそうです。亀岡といえば、出雲大神宮。
3年前に一度参拝しただけですが、そこの笑殿社には、
「あの方」がおいでですね。
確か「笑」の字には「天」が隠れており、
吉田様は、この「天」が「あの方」を指すとの解釈でしたが、
天候のせいが、境内全体は重い時間の経過を感じさせる
場所であったと記憶しています。

では、また。



66 ある灸研究家 かわしま  - 2008/01/09 19:39 -
返信ありがとうございます。
ある灸研究家がおり(すでに故人)、その方が伏見稲荷の入り口付近の旅館:玉屋に宿泊したところ、ある神様が夢に現れて、
医薬について聞きたい事あらば我に尋ねよ、といわれました。
その神様は「薬力大神」と名乗り、稲荷山に祭られていると
告げました。そこで神社の職員にたずねると、50丁ほどのところに「薬力社」があるとわかり、勇躍、山をのぼりました。続く



65 カワシマ様へ 吉田一氣  - 2008/01/05 11:34 -
貴重な情報ありがとうございます。
稲荷山は何度か行き磐座等確認していますが
少彦名神を祭祀しているという情報は得ていません。
秦伊呂具が山上に雷神を祭ったという話もあります。
もう少し詳しい場所等分かりましたら是非お教えください。


63 伏見の稲荷山 カワシマ  - 2008/01/02 18:05 -
京都の伏見・稲荷山の山奥に「少名彦神」を祭し場所があります。
言い伝えでは、そこが稲荷山信仰で一番古い場所だそうです。
一度行かれてみてください。敬具




57 ありがとうございます 目黒の案山子  - 2007/12/21 01:12 -
吉田様

早速のご返信、ありがとう御座います。
城南宮の件は、何やら奥が深そうですね。
本殿背後に賽銭箱、は今まで気付きませんでした。
真幡寸神社の件も。。。

また、お時間のおありの際にでも、差し障りのない程度で
お願いします。



56 目黒の案山子さまへ 吉田一氣  - 2007/12/21 01:07 -
白河法皇陵に参拝される場合はその東に鳥羽天皇と近衛天皇の陵もあります。
白河法皇と鳥羽天皇との間柄の問題は、
待賢門院璋子とのことを考察すると複雑なものを感じさせますが、
こと熊野行幸行啓に関しては白河・鳥羽・璋子が庶民へまで浸透させたといえるでしょう。
城南宮では社殿の向きが非常に気になってしまいました。
何か情報をお持ちではないでしょうか?
また社殿の背後に摂社が左に三社右に四社の七社置かれていて
これは北斗七星をイメージさせるものでした。
さらに本殿を後方から参拝することが出来る様に
賽銭箱が置かれていますがこれも意味のあることでしょう。
真幡寸神社の件については一言では説明できないのですが
今回はまだそこにまで行きついていないという状況です。
唐渡天満宮の右横の社には通行の際に気づきました。
しかしながら足を止めて参拝するまでには至りませんでした。
目黒の案山子さまの平泉寺白山神社参拝に神霊の加護がありますようにと
願っております。


54 ご報告ありがとうございます 目黒の案山子  - 2007/12/18 22:19 -
吉田様
寒い中、お元気でしょうか?
再度のご返信、誠に有難う御座います。
白河法皇陵ですか、これは驚きました。前や脇を通ることはよくあったのですが、拝礼させていただいたことは全くなかったので。今度、ご参拝させていただくことにします。
白河上皇は、その後の「蟻の熊野詣」の切っ掛けを作られたのみならず、藤原摂関家から権力を皇室に取り戻した方でもあるようですね。時代の流れがあったとはいえ、やはり「ただ人」ではおられぬ方のようです。
松尾大社は参拝させていただいたことはないのですが、上賀茂神社は2,3度。あの近辺の小高い丘、というか山々の形が大好きです。まさに「神奈備」山。青い空の八重垣雲の中を、小柄な龍でも飛んでいそうな雰囲気ですね。

実は城南宮で気になっていたのが、境内内で本殿敷地の東側に2つのお社があります。1つは「真幡寸神社」で、この土地の産土神様ではないかと思います。60年代までは、城南宮もそう呼ばれていたそうです。

もう1つは、芹川神社。
菅原道真公をお祭りする天満社となっていますが、この神社の向かって左側に丈が1m20cmもないほどの、小さな祠があります。
額もなく、名前がありませんでしたので、「これは何方だろう?」と思っておりました。このブログを拝見させていただくようになって、「ひょっとしたら、ひょっとするかな?」と、思っておりましたが。

来週、福井の平泉寺白山神社に行く予定です。冬の日本海側は天気が悪いので白山の遥拝は無理かと思いますが、訳ありで決行します。

では、また。



53 目黒の案山子さまへ 吉田一氣  - 2007/12/18 17:04 -
先日 12/14に城南宮に参拝して来ました。
北の上賀茂神社-南の城南宮(県道38号-国道1号線)
東の八坂神社-西の松尾大社(四条通り)とで
四神相応となす神社として観光客を呼んでいました。
確かに小椋池を埋め立てて今は無くしているので
南の守りとして大切な拠点となっているようにも思えます。
実際に参拝した感じではそばにある白河上皇の陵に
かなり強い感応がありました。
上賀茂神社からの道も県道38号-国道1号線という流れから
考察しても素直で真っ直ぐな流れです。

妙見信仰としての国常立尊を合祀したのは
794年の平安遷都の時といわれますが
妙見宮は拝殿の奥の摂社に一つあるのみでした。
白河天皇は法皇となられてから熊野詣を何回もなされるなど
神霊への信仰の強かった方とお見受けしますが
正月の明治神宮 平安神宮 橿原神宮を見ても判るように
天皇霊というものは国民の潜在的信仰と切っても切れないもの
となっています。
城南宮の祭神の一人に白河法皇を入れたほうがいいくらいに
霊的影響が城南宮に及んでいるように思います。
その後の天皇が城南宮から熊野に発たれたのは
推測ですが方除けというよりも
白河上皇の陵に参拝されていたのではないでしょうか。








52 再び有難う御座います 目黒の案山子  - 2007/12/03 23:39 -
吉田様、

またもや詳しいご回答、誠に有難う御座います。
ご自分で霊視のお力もお持ちの上、それに胡坐をかくことなく、
丁寧に文献を渉猟なさる謙虚さと、それでも腑に落ちない場合には、敢えて保留になさる思慮深さには感銘を受けます。
自信と賢慮をお持ちでなければできないことと、拝察します。
霊学とはこうあるべき、の一つの模範を示されていますね。

城南宮に関しては、是非一度ご参拝いただいて、またお話をお聞かせ下さい。秦氏との関係は、既にご存知とは思いますが、
http://kamnavi.jp/

の方が、詳しい考証学を展開されています。元々、藤森神社(確かスサノオノミコトが主神)の場所にあったのが、伏見稲荷を勧請するにあたって、トコロテン式に移動された、とか。

城南宮は、本殿の正面に北面した小さな祠があり、「三照宮」とあります。ここは皆整備が行き届いているのですが、少しくらい感じがする場所です。埋没神がおられるのかも知れませんね。

また、折を見て、訪問させていただきます。

有難うございました。

追伸:実は、10月末に、長野の戸隠神社にも参拝しました。
あの、江原啓之さんは大変評価されていますが、もし何かおありでしたら、ご意見をお聞かせ下さい。今回のようにすぐにな久手でも結構ですので。


51 下の文章について補足考察 吉田一氣  - 2007/12/03 22:09 -
以下の文章書いていて矛盾に感じたのですが
三光はやはり日月星といっても
星は北辰太一でなくて明星金星のことのように思います。
もともとの妙見信仰では北辰だったものが
いつのころか日天子・月天子・明星天子に変わったように思えます。
たぶんそれには空海の虚空蔵求聞持法と明星金星との繋がりから
本地垂迹して妙見神と虚空蔵菩薩が同一視されたことからきているのだと思います。
また金星=太白=大将軍となって奈良京都大阪では
大将軍神社が方位神として祭られています。
金星はまた牛頭天皇との習合により素戔嗚尊の神格にもなって
いったと考えられます。





50 目黒の案山子さまへ 吉田一氣  - 2007/12/03 21:45 -
城南宮は「曲水の宴」で有名な神社ですね。
都を懐かしみ大宰府でも行われるようになったとか。
京都から少し離れた伏見ということもあって未参拝神社なのですが
お話を聞く限りすばらしい氣を持つ神社のように感じます。
実はいつも事前調査で頼みにしている「とんでもとらべる」さんの
ガイド記事読んで気にはなっていた神社です。
http://www3.kcn.ne.jp/~mamama/kyoto/temple/jyounanngu-shrine-01.htm
このページの上段部の鳥居の写真からもただならぬ氣を感じます。
ここの日月星の三光の神紋非常にいいですね。
大阪真田山の三光神社は天照大神、月読命、素盞嗚命(明星)で
日月山とも日月星とも云われていますが
城南宮の場合はまず後から祭祀した国常立尊をどう捉えるかでしょう。
そこには妙見信仰がからむことは間違いありません。
北辰尊星は天御中主神もしくは国常立尊ですから
この城南宮での三光のうちの星は
北辰尊星のことで国常立尊ということになるのでしょう。
それはいいとして日を八千矛神とした場合には
その神をどういう素性として扱うかということになるかと思います。
もともと三輪の神は日の性質を持ちますが
三輪から勧請したという日吉大社でも日の性質は抜かれていますし
四国の琴平宮でも日の性質は抜かれています。
この八千矛神にも戦の神という性質はあっても日の性質を感じません。
神功皇后がらみということで考えた場合では
御旗の日月星の御紋章が、即ち城南宮の三光の神紋の由来となっていますが
神功皇后と日月星の御紋章との関係については
不勉強ではありますが疑問があります。
神宮皇后が旗を埋めたという伝説については
ここがもともと真幡寸神社という名にあるようです。
この旗の由来は秦氏に繋がるようです。
福岡にある香椎宮 筥崎宮 宮地嶽神社 楯崎神社 美奈宜神社の他 
加太淡嶋神社 住吉大社等参拝してきましたが
神宮皇后に日月の性質を感じたことはありません。
城南宮は由緒上は三柱の神霊を勧請した神社ということになりますが
こと三光ということに関しては三柱に関与せず
妙見信仰そのものと考えた方が良さそうですね。
北辰とは具体的には北極星=太一を含む北極五星と四輔四星からなり、
これらを紫微垣しびえんとも紫微宮ともいうそうです。
妙見神は八代では目深・手長・足早の三神によってもたらされ
それゆえか妙見神は日天子・月天子・明星天子の
三光天子のこととも伝えられています。
妙見神であれば方除の霊力は絶大でしょう。

私も是非 近々参拝させてもらいたいと思います。


48 ありがとうございます 目黒の案山子  - 2007/12/02 23:28 -
吉田様、

丁寧なご返答、誠にありがとうございます。
鞍馬には、月読尊がおいでになるとは、ウエサク祭等、
月とはやはり関係があるということですね。
>鞍馬山の由岐神社では少彦名神がその地の蓋を守られています。
なるほどな、と思いました。

さて、また一つ質問させていただきたいのですが、
京都の南に、「城南宮」という神社があります。
國常立尊・八千矛神・神功皇后をお祭りし、
古くは後白河上皇などの熊野詣の出立地でした。
日・月・辰(星)の三照を御旗とされていますが、
今から30年ほど前、社が火事になったにも拘らず、
現在は「方除け」の大社として、見事なご隆盛です。
それほど大きくない神社とはいえ、整備が行き届き、
晴れた日の朝は、何も感じない私でさえ、清んだ御神気に
思わず感嘆の声をあげることしばしです。

御神霊を云々することは失礼がないように、慎重に論ずべきとは存じますが、秦氏のお話もあり、近くの伏見稲荷大社など、色々ありますので、お話をさらに伺えないかと思いました。

もし、差し障りがなければ、宜しくお願い申し上げます。


47 目黒の案山子さまへ 吉田一氣  - 2007/12/01 22:21 -
はじめまして
ブログの紹介ありがとうございます。
読ませていただいています。
お会いしたわけではありませんので霊的背景を全て見通すことは
できませんが、まじめに取り組んでおられる方だと推察します。
いろいろと勉強になります。
日本の霊的な流れと土地の縁は七重八重の神秘となっておりますから
例えば鞍馬山にも数々の歴史と縁があります。
鞍馬山の由岐神社では少彦名神がその地の蓋を守られています。
ただ魔王殿にまつわる秘密も霊的感応者には避けて通れない道です。
仮に近づかない方がいい魔の山であってもです。
京都鞍馬山はもともと松尾山と呼ばれ秦氏が祭祀に関与されています。
三輪山が太陽であれば鞍馬山は月とも云われています。
松尾大社の北に壱岐の月読神社の神を勧請した月読神社がありますが
この鞍馬山で埋没神 月読大神への感応を受ける者もいます。
また竹内巨麿氏 臼井甕男氏 中丸 薫女史など
鞍馬にて神霊感応を受けた人も数多くいます。
また位山 玉置山 剣山 鏡山などの古代からの霊山も
一つだけの解釈で解けるようなものではありません。
それほど日本の国体の歴史が古いということでしょう。
私も学徒として勉強中の身です。
ただ天照太神 國常立尊を崇敬することとその神への崇敬心は
日本人として非常に重要であり大切なことと思います。
また私は金井南龍先生の思想を受け継ぐわけではありませんが
白山には地球を越えて主催される大いなる神がおられます。
そういう基本的なことを十分理解されて
自らの使命を果たされておられる方と推察します。

とほかみえひため拝



44 はじめて書き込ませていただきます 目黒の案山子  - 2007/11/30 18:28 -
初めて書き込ませていただきます。
スクナビコナの大神について、検索している時、
偶然貴HPを見つけました。

実は他のブログですが、「ひょっとしたら、この人はスクナビコナ大神の分霊を宿しておられる方ではないか?」と思う人がいます。

大和教の川面師のように、天照大神と国常立尊の尊崇を進める人です。
もしお時間が有れば、

http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou

を覗いてご覧下さい。感想等お聞かせ頂ければ幸いです。






41 結界と神道行事についての考察 吉田一氣  - 2007/07/27 01:48 -
確かにご指摘の通り古神道でも直接的に結界という言葉は見あたらないかもしれません。
結という言葉の語源はもともと「吉に閉じ込める」という意味であり(字統)
古代歌謡でも愛情を約束するという結びつきという意味で使われており
仏教的にも結縁灌頂のようにやはり結びつきを重視しているようです。
また結印結界というようにもともとは隔てるものではなく
結界とは仏の世界との結びつきを求めるが故の現世との境となっています。
さてそれでご質問の結界に相当する言葉ですが
流派により違いはあるとしても私なりには古神道玄学に云う
「折り包み結び」の「つつみ」にあたるものだと理解しています。
包みはみ実を包むものでありそこに本体を宿すことであり
風呂敷袱紗頭巾鉢巻神法衣に始まり広義的には〆縄垣根
蚊帳ふすまなども包みの作用です。
鉢巻は頭に白い布を巻くことにより邪気を防ぎ心身浄化し
神霊降臨までを意味するものですがこれは「つつみの作用」です。
またこれらを行法として行う場合は
結界のことを陣や&#27227(ケツ くい)という字で表していますが
いずれも禁厭法の範疇といえます。
文献に関して云えば神法道術の禁厭関係の書物
あるいは太古真法等が参考になるかと思います。
ただ私の場合は結界というものを道教で云うところの
象としてとらえており「結界考察」は純粋には神道的考察とはいえません。


38 結界と神道行事について 喜元  - 2007/07/25 16:31 -
先生の「結界考察」拝読いたしました。
本来「結界」と言ふ用語は仏教用語で、密教の壇・修験道の採灯護摩の祭壇等に見かけるのですが、神道では何故か「結界」と言ふ言葉がありません。地鎮祭の忌竹・御幣や鳥居、門、注連縄、等も結界と思ひますが「結界」と表現しません。
仏教用語だからあえて使はないのかとも思ひますが理由がありますか?
蜜教の「壇」に相当するものに、斎場・斎庭があり、三次元的な広域結界は、境界・境内等の表現が当てはまると思ってゐます。
神道界では結界に対する文献や仕様書・解説書も無いやうです。
私は神道における結界の研究を進めてゐますが、参考文献等ありましたら教えて戴けませんでせうか。



37 杏子です。 杏子  - 2007/07/24 19:45 -
暑中見舞い申し上げます。

皆様、いかがお過ごしでしょうか。少しでも涼をお届けしたくて、心ばかりの品をおくらせていただきました。
まだまだ暑さが続きそうです。十分にご自愛ください。

anzu.freeing.name



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