天台宗と日吉神社の謎


まず日吉神社についての報告の前に経緯を少し説明したい。

健軍神社の公式ホームページが出来ていることに気づいた。
本殿の左に摂社が並ぶがその摂社についての説明もある

http://www.kengunjinja.jp/

この中に天社神社についての記載もある。
この件は主題の「熊本霊ライン」にも記載しているが
「通称「お不動さん」とも呼ばれます。と記載されている。
これは道君首名公のことである。
おびとなさん→おぶとなさん→おふどうさん
と勘違いされたものだと推測される。

http://www.kengunjinja.jp/keidai/tenshajinja.html

さてこの健軍神社の摂社の天社神社から
本題で取り上げている高橋の天社宮という繋がりについては、
神霊との邂逅により導かれてきたんだという自覚が筆者にはあるが
先日健軍神社に参拝していて
この摂社の並びや祭神や社のもともとの勧請元にも意味があることに気づかされた。   

具体的には
美和神社 天社神社 国造神社 日吉神社 雨宮神社である。
美和神社とは三輪の大神神社で大物主神少彦名神を祭祀している。
天社神社は道君首名公を祀る天社宮で
国造神社は阿蘇の國造神社のことである。
日吉神社は京都の先の滋賀比叡の日吉大社にあたる。
例えば今までこの摂社の日吉神社に特に意味を見出していなかったが
今回摂社の日吉神社に参拝していて感応があり、
地図で確認したところ「熊本霊ライン」上に日吉大社も存在することが分かった。


また左に古くから雨宮神社がある。
雨宮といえば一般的に云えば阿蘇二ノ宮の雨宮媛命(一ノ宮の国造速瓶玉命の妃神)で
もとは宇土の郡浦神社の蒲智比唐ニいう女神の海神が当てはまる。

ただ、もし全てを熊本霊ラインに関与する神霊に結びつけるとなると
雨宮神社は「熊本霊ラインと中央構造線」の考察で記載した通り
八大龍王の神霊が宿っていることになる。

現在神霊が宿る気配を感じないが降雨祈願が行われれば判明するかもしれない。

あと今年2007年になって一番右に矢城神社が建てられたが祭神は情報が無く不明。




筆者は年に一度程度奈良の三輪山に出向いているが
熊本霊ラインを通しての祭祀祈願と三輪での祭祀祈願が
日吉大社を通して一つに繋がる事を感じた。
具体的には
國造神社滋賀比叡の日吉大社熊本霊ライン上に存在する。

た三輪山山頂の真南に日吉大社は位置しており
ここは大山咋神と並べて三輪山から勧請した三輪明神を祭祀している。
つまり
日吉大社は三輪山の神霊界を熊本霊ラインに結びつける可能性がある


とすれば過去に天台宗による祭祀が行われてきた池辺寺跡 独鈷山 万日山にも
滋賀比叡の日吉大社に対応した日吉神社があってもおかしくない。

現地を調べてみるとまず独鈷山中腹の「八王子神社」の由緒に八王子大権現は国狭槌尊のこととあった。

これは日吉大社に関係しそうだと直感した。




一般に八王子大権現を国狭槌尊とするのは山王七社権現の由緒によるもの。
ネットで検索したら以下の札を見つけることができた。
上記注釈と同じ内容である。
たぶん日吉系のどなたか知識人がこの神社の祭神を日吉大社でいう八王子と
思い込みで書き込まれたものと思われる。
しかしながらこの社は日吉の八王子を祀る社ではなさそうである。



この八王子神社には下の写真の通り奇妙な表示がある。



ここで独鈷山より下には降りないという神は八王子大権現では無くて
味生池に住んでいたという悪龍が改心して独鈷山龍池院の守り神と
なったことを表現していると思われる。
空海の独鈷伝説が残る熊本霊ラインの独鈷山であるが
もとは妙観山(みょうけんざん)と呼ばれていたことが分かっている。
頂上では観音が祭られていたと云われるが、
八代と同じ妙見信仰があったものと考えられる。
とすると八代に水神として竜王神社と八王社があるように
独鈷山にも龍王が祀られていたはずだ。
そしてこのふもとに道君首名公が味生池を作った。
当然龍は喜んで水を住処にするだろうが、
その後妙見信仰が廃れたのかこの龍は悪龍に貶められてしまう。
京より呼ばれた僧の真澄は池辺寺を建立し
この悪龍を独鈷山中の八王子神社に封じ込めてしまう。
池辺寺は功徳池辺寺独鈷山龍池院とも呼ばれている。
龍は改心し八王子神社より麓には下りないと約束したという伝承がある。
筆者の感応によるとこの八王子神社は実は八大龍王神社の事である。
この独鈷山龍池院の名を見る限りこの寺社の守り神になったのかもしれない。
しかし八王社が八王子となったところを見ると
そばに日吉神社があってもおかしくない。

この独鈷山の全貌が見える池上に池上神社がある。
この神社は現地の由緒書きにより日吉神社であることが分かった。
やはりもともとは独鈷山麓の山王平に建立されていたそうである。
又さらに日吉神社が万日山の麓近い山中にもあることが分かった。








熊本霊ラインにおいて日吉神社が果たす役割というものがあったとすれば
それは天台宗徒によるレイラインの活用ということになるのであろうか?
それとも偶然のことなのか?

筆者はこれまでこのレイラインに関与してきた人々として
@古代太陽夏至祭祀に始まり 
A妙見信仰 八大竜王 鎮宅霊符神の祭祀
B道君首名公 C弘法大師空海 D加藤清正を検証してきたが
ここに天台宗徒によるレイラインの活用の可能性を調査する必要を感じた。

2007年11月時点では日吉大社は未参拝である。
年内に参拝を検討している。
熊本霊ラインを意識しての参拝となるとただ行けばよいというわけにもいかず
神霊界への段取りが必要となる。
成果があり次第報告したい。



2007年12月に日吉大社と松尾大社に参拝してきた。
両神社共に祭神は大山咋神となっている。
松尾大社は秦氏が勧請している。
日吉大社は比叡山に延暦寺を作った最澄が
八王子山に降臨するといわれていた神を山王権現として追祭祀している。

山王権現は大山咋神のことといわれている。
しかしながらここの八王子山というのは牛尾山とも呼ばれ
この山頂近くに金大巌(こがねいわ)と呼ばれる磐座があるが
参拝した経験からはここには素戔嗚尊の氣が強く残っている。
現在はこの大岩を挟んで右側の拝殿が牛尾宮と呼ばれ大山咋神荒魂が祀られている。
左側が三宮宮で鴨玉依姫神荒魂が祀られている。
もともと大山咋神が降臨するとの伝承がある磐座は
比叡山横高山近くの釣垂岩(鯛釣岩)とも云われている。

これは、日吉大社を牛尾山ふもとに作ったために祭神が代えられた可能性が高い。

実は今回の日吉大社には同行者が居たのだが
氏にメールを送った際に、
【今回の金大巌神業】と書こうとしたのが【今回の金大巌神牛尾】となってしまった。
sinngyou→sinngyuo ouがuoと偶然逆になって神牛尾と表示されてしまった。
その時に素戔嗚尊の氣を感じると共に
「日吉大社 牛尾」で検索した結果、その時に初めて
八王子山が牛尾山と呼ばれることも分かったので
ここに素戔嗚尊が祭祀されていたということは間違いないと判断している。

直接は関係ないが、日吉大社の南6kmところにある
西大津の早尾神社の「千石岩」は祭神が素戔嗚尊になっている。

日吉大社は神社のデパートのような処だ。
数多い神々が祭られている。
その核となるのは東本宮と西本宮である。
日吉大社ホームページの境内案内によると
http://www6.ocn.ne.jp/~hiyoshi3/precinctss.htm

西本宮は天智天皇七年(六六七年)の大津京遷都にあたって、
大和国三輪山(奈良県・大神神社)より大己貴神を勧請したということである。
大神神社は三輪山を三諸の神奈備と祀る神社であるが
祭神は大物主大神 (倭大物主櫛甕魂命)で
配祀が大己貴神・少彦名神となっている。
http://www.oomiwa.or.jp/frame/f02.html
大物主大神と大己貴神は同じ神かといえばそうだし
混同されているといえばその通りで、違う神といえばそうとも云える。
同様に大國主命と大己貴神も同じといえば同じ神で違う神といえば違う。
祭神及び神名乗っ取りの最たるものでこれは今後筆者の
祭神及び神名乗っ取り研究会にて考察していきたいと思っている。
http://reyline.web.fc2.com/sinmeihe.htm
ただこの日吉大社の西本宮で大己貴神に限定して祭祀しているのには訳がありそうである。

東本宮は崇神天皇七年、八王子山の山頂の神様を麓にお祀りしたとある。
実際は比叡山横高山(古来の小比叡)近くの釣垂岩に降臨すると云われた大山咋神を
この比叡山山麓に祭ったということだと思う。

東本宮内にはいくつかの社があるが
筆者が参拝した際に境内摂社の大物忌神社で強い感応があった。
ここは大山咋神の父神といわれる大歳神が祀られている。



         ・瓊々杵命(大若子神)
                    --兄-火照命(海幸彦) [弟-火遠理命(彦火火出見命 山幸彦) ]
伊弉諾      -木花咲耶姫(酒解子神) [姉 石長姫]
    --大山祇命(酒解神)--神大市比売
伊弉冉      -足名椎命         ・天知迦流美豆姫
                -- --櫛名田姫      --大山咋神
           ・手名椎命        --大歳神
                  ・素盞鳴尊        
                                         --賀茂別雷命
                 ・賀茂建角身命(八咫烏)--賀茂玉依姫  
                         

大歳神素盞鳴尊神大市比売の間の子とも櫛名田姫の子とも云われる。
大歳神と天知迦流美豆姫の間に生まれた子供が大山咋神と云われている。



大山咋神の咋とは何かという疑問
日吉大社のホームページによると【御神名の「クイ」というのは、
山の樹木やその麓の田畑の五穀をグイグイと伸ばし育てて下さる
御神徳を指したものです。】
とある。

別の由緒ではクイとは杭のことであり
松尾大社そばの嵐山の大堰川に堰きを設けたのが
大山咋神でそれゆえにクイとつくとのことだ。
実際にここを堰き止めたのは秦氏で5世紀後半の事といわれている。
漢和辞典では咋とはサクと読み
噛む音 つまりサクサクと噛むという意味となっている。
現実的にはクイは咋ではなく杭の事と思える。
ただ感応的には鏑矢を用い各氏族の土地の境界を杭で定めた神で
争そうことなく口で治めた神ということで大山咋神とついたと感じている。






       


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