夫婦ゑびす神考察


以下の御神像は熊本の天社宮の御神体である。
宮総管理様の許可を得て掲載させていただくこととした。
想像ではあるが明治ぐらいに作られたものと思える。
この夫婦像を見た時に人吉市で祭られている夫婦ゑびす神を思いだした。
海から離れた山中にゑびす神が祭られているのも珍しいが、
人吉は夫婦ゑびすといい雛人形といい天子宮といい少彦名神に繋がる歴史を感じさせる。
ところが道君首名公の塚がある久留米の地の高良大社にも夫婦ゑびすが祭られており
市を開く許可権を高良大社が持っていたというのだ。
夫婦ゑびす神像に道君首名公との繋がりが有るのか無いのか判断出来る情報はないが、
夫婦ゑびすの候補について考察してみたい。

天社宮 御神体
道君首名公をモデルとして作成されていることは明確であろう。


田主丸町門ノ上の道君首名公夫婦像石碑
首名公の没後に夫人は出家して宝円と名乗り田主丸門ノ上に一宇を建てて首名公の菩提を弔った。
末子の安之幾(あしき)は朝廷より当道朝臣の位を賜り、竹野の三明寺地区に残り郡司となっている。
また首名公の孫の道公広持も姓道朝臣の位を賜っている。




夫婦恵比須(めおとえびす)といえば櫛田神社が有名であるが
祭神は事代主大神と玉櫛姫大神となっている。



高良山 夫婦ゑびす (市恵比須) 高良山 夫婦ゑびす (市恵比須)
羽犬塚六所宮 夫婦ゑびす 正平十二年(1357年)製 羽犬塚恵比須650年大祭記念 はかた人形


高良大社の市恵比須夫婦神は彦火出見尊と豊玉姫命と伝承されている。


人吉 九日町 夫婦ゑびす
人吉 九日町 夫婦ゑびす 由緒書き


武内宿禰と道君首名公

高良大社は武内宿禰公を祭祀していると考えている。
従って高良大社の夫婦ゑびす神は武内宿禰公と神功皇后であると考えるべきであるが
なぜかここで道君首名公の感応があった。
ということは、武内宿禰公と道君首名公につながりがあるということなのかもしれない。
確かに道君は武内宿禰系(つまり蘇我系)という伝承を持っている。
これが事実かどうかは図るすべがないが、道君首名公が武内宿禰公を我が祖先として
祭祀したことは十分に考えられる。






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