熊本レイライン数値関係



マピオンから日本(東京)規格の緯度経度を求めると 

御坊山
130 38 40.973
32 46 22.253

万日山
130 40 55.545
32 47 24.658

花岡山
130 41 16.509
32 47 35.282

となるようです。

これを御坊山基点で霊ラインの方位見ると
60.8度が霊ラインの角度となります。

これを延長していくとどこを通過するか調べてみました。


京都御所は
135 45 58.468
35 01 15.043
御坊山から見た角度は
60.7度とかなり当たっているようです。

これが京都駅となると
135 45 41.459
34 58 52.431
御坊山から見た角度は
61.1225度とずれます。

ちなみに二条城は
135 45 03.001
35 00 37.460
御坊山から見た角度は
60.7633度とかなり霊ライン角度に近いです。

二条城といえば『二条城の清正』という歌舞伎があるが
豊臣秀頼と徳川家康が関ケ原の合戦で徳川家と豊臣家の立場が逆転し、
秀頼は家康に呼びつけられる形で二条城に赴く。
慶長16年(1611)3月のことである。
この時に加藤清正公が秀頼を警護したのであるが、
清正が構築したレイラインが二条城方向に向いているのは
偶然ではなく清正公の工夫によるもののように思える。



さて熊本レイラインとしてのもともとの機能は
夏至の日の太陽の日の出日の入りの角度にほぼ一致した五山の方向より
清正公と二条城を持ち出したのは穿った考え方ということも言える。
そこは説明が難しいところではあるが
清正公の土木技術をもってすれば
1度程度の修正はさほど困難ではなかろう。



この写真は2005年の6月21日夏至の日の早朝(5:21)に独鈷山頂上から万日山と花岡山方向に向かって撮ったもので
かすかに花岡山の仏舎利塔の頭が見える。
頂上と太陽の位置に微妙なずれがあるが太陽レイラインなら完全に一致するはずだと思う。
太古の日の出位置とのズレがあるだけの話かもしれないがそれにしては大きいような気がする。

このズレこそが清正公の土木工事によるものという考えを筆者はしている。
五山は比較的近い位置にあるので御坊山を除いて補正が可能だ。



この写真は2006年6月21日の夏至の日の早朝に花岡山から日の出方向を撮影したもの。
雲が多く一瞬しか太陽を拝めなかった。時刻は5:27になっている。
左下に熊本城の天守閣が確認できる。向こうの山は託麻三山で左端が神園山となる。


天社宮の今の社は南向きとなっている。
しかし礎石の向きから察すると以前は東北東向きであったことが分かる。
方位磁石で計った結果は約65度程度となった。
九州の偏差は6度程度らしいからほぼ60度となって夏至の太陽の出る方向となる。
道君首名公時代は平城京が都であったので
平城京の位置を調査したところ
135 48 00
34 41 19
となり御坊山からの角度は64.5度となる。

平城京 位置
http://www.its-mo.com/y.htm?m=E135.47.59.5N34.41.16.817&l=9

御坊山 位置
http://www.its-mo.com/y.htm?m=E130.38.40.899N32.46.21.136&l=9



熊本霊ラインの中継地と判断する阿蘇の国造神社について
以前より国造神社は熊本霊ラインの線上と考えてはいるが
現実的には完全には線上には乗っていない。
131 7 35
32 59 10
となり御坊山からの角度は62.06度となる。
つまり霊ライン線上はこの神社のさらに山側となっており
ここから約900m北方向ということになる。
ここに何かがあるかもしれないと思っている。
機会があれば是非調査してみたい。

http://www.its-mo.com/y.htm?m=E131.7.35.498N32.59.9.988&l=9




謝辞
方位と角度の算出はフリーのソフトで球面三角法による方位計算(全世界対応) Ver.3.4.46を
使わせていただきました。
http://www.shihei.com/mysoft/houihlp.html
方位についてはマピオンから日本(東京)規格の緯度経度を求めました。







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