神の手の中で!!




今日、今から私が話す内容があなたがたをよりよい方向へと導いてくれることを願ってやみません。
ところで、より良い方向とは、どういう方向でしょうか?
私が願うのは、自分が幸せだと感じる方向が、他人をも幸せにするということです。


人は何のために生きるのか?その目的は何か? この答えは断言すると、かなりの人が反発をします。
もう少し範囲を小さくして自分は何のために生きるのか?と言い換えたらどうでしょうか... 
きっと夢を実現するためとか、家族を養うためとか、そんなことは考えなくても生きているとか、
各人それぞれの回答があると思います。
さてそれでは、我々が生きてきた結果から、逆に推察すると、
生きているものはたいていの場合必ず死ぬようです。
皮肉な言い方をしたら死ぬために生きているといえるかも知れません。
また生きるということは産まれたということでもあります。
生命が誕生したから、それ以降生きるということが始まるわけです。
こう考えると私たちが、明確には意識しなくても、全体の生命の運営の中では
生きる目的の一つとして、生命を誕生させるということがあげられると思います。
動物学的にいえば、子孫繁栄ということです。
これは、2つの方向に広がっていきます。一つは、時間的に綿々として続いていきます。
もう一つの方向は、同じ時間で輪切りのしたとき個体の数がねずみ算的に殖えていくという方向です。
ではなぜ、子孫繁栄させるのでしょうか?
殖えるということにどういう意味があるのでしょうか?
このことについては、今は触れないでおきます。
ここで、例として蟻の世界をみてみると、女王蟻が卵を生み、その卵を働き蟻が育てていくのは 
女王蟻の教育の成果でしょうか?
私が知る限りにおいては、それは教育によるものではなく生まれつきによるもの、
つまりは本能によるものだと認識しています。
ということは、本能のなかに、子孫繁栄のための巧妙な手段が組み込まれているということになります。
蟻を物質的に見て、本能がどこに備わっていてどういうふうに子孫に伝わっていくのかというと
これは、DNAの中に情報として含まれているわけです。
このDNAには、生命のハードの設計図面があるわけです。
それだけではなく、このDNAの設計図の中にはソフト的要素も含まれるのです。
嗜好や性格なども後天的要素からだけでのものではなく遺伝的要素もあることが分っています。


話が、極小の世界に踏み込んできましたが、
困ったことに私はこのDNAのデータがどのようにして取り出され現実的な形を持つのかを知りません。
もともとはアミノ酸の無生物的結合から20〜40個のペプチドが形成され
ペプチドから自己複製能力や代謝触媒機能を持つタンパク質が現れたと思われます。
タンパク質はモノヌクレチド(有機物)の結合であるRNAと協力し合うようになるわけです。
DNAの塩基3個が、アミノ酸1個を指定する「暗号記号」となっていて遺伝情報を保持しています。
(※ 核酸塩基 グアニン−シトシンG-C チミン−アデニンT-Aの2種の結合の組み合わせ)

DNA  → 遺伝情報の担当
タンパク質→ 触媒作用
RNA  → 両者の仲介
という形で細胞のコピーが行われまたタンパク質も作られていきます。
このタンパク質が3次構造や4次構造を形成し生命のハードとして機能するのですが
この微妙な違いが遺伝的情報として 
例えばくもの巣の構造や製法などや子孫繁栄の本能 etc
を作り出していく訳です。
人ゲノムはどんどん詳細まで解明されていきますがその遺伝情報は34億基中3万という話もあります。
この遺伝情報で外面に現れる多種多様の変化のバリエーションを創りだせるものか私は知りませんが
この極小の細胞の中に総ての神秘が組み込まれていることだけは事実です。


さて生命誕生の時、雄と雌のDNAデータが、精子と卵子という出会いの中で
1つのDNAデータとなりそれが細胞分裂を繰り返すことで
ひとつの細胞の固まりからだんだん細胞の固まりが分化していき生命を形作っていきます。
生命を形つくる為に細胞は自らアポトーシスな死すら選びDNA情報は厳格な秩序を保ちます。
考えようによっては、我々の体は、たくさんの細胞の犠牲と分業で成り立っているといえると思います。
ところで我々人間は、意識を持っています。
意識というものは、定義が難しいのですが、あまり厳密に考えず言わせて貰えば、犬や猫にもありそうです。
意識の主体がどこにあるかというと、西洋医学が発展するまでは、
ハートつまり心臓にあると思われてきましたが、今は脳にあるということになっています。
しかし細胞の一形態である脳細胞はどのようにして意識を持つに至るのでしょうか?
脳細胞(ニューロンも含んで)は、特別なネットワークシステムになっています。
そしてこのネットワークの組み方と情報伝達手段のアルゴリズムに
意識といわれるものの正体が隠されています。
ところで、現在人の脳細胞が、100億あるとしてもし50億しかないとすれば、
意識の量はどうなるでしょうか?
この関係式は、公知のものになっていないと思われるので、仮に半分の量だとします。
さらに半分になるとどうなるかというと4分の1ということになります。
これを突き詰めていくと、意識の単位の最小は、細胞1個ということになってしまいます。
細胞1個が1/100億の意識を持つのか?
あるいはある個数以下になると意識は0になるのかは、測定不可能でしょうが、
ここでは、細胞1個の意識を意識の最小単位として話を進めたいと思います。
尤も意識がネットワークの産物である以上は
ネットワークの繋がりの量で単位を決めた方が良いのかもしれませんが、
指数関数を使っても話がややこしくなるので、簡略化させてもらいます。
例え話として、ここに細胞1個が生きていたとします。
この細胞は小さな小さな最小単位の意識をもっています。
彼は分裂して増殖することだけが、取り柄です。
しかし環境の条件が整うと繁殖のスピードは、すざましいものがあります。
そしてこの1個の細胞はどんどん増え続けていくのですが、
ある時、うまく分離出来ない細胞が誕生します。
それらはお互いが引っ付き合った状態でそれぞれが分裂を繰り返していきます。
これは単細胞のアメーバからの進化です。
そして細胞の集合体は、細胞毎の違う役割を果たすより高等な生物へと進化していきます。
この細胞の文化が進むなかで、小さな意識は本人が意識出来ないにも関わらず仲間を持っていくのです。
ところで、細胞の文化が進むという根底には、
ある細胞にとってお隣に別の細胞があることが公知として分かっているはずです。
そして自分の果たさねばならない役割も分かっているはずです。
ただ分かっていると云うことと意識が認識しているということには大きな隔たりがあり、
ここで分かっているというのは、DNAの情報に組み込まれているということです。
傍目から見ると分かっているようであり細胞自身にとっては偶然的突然変異の結果と云うことになります。
自然淘汰の中では、増え続けることが生き残りの条件であり、
文化の方向がより効率的栄養補給手段の確保であったろうことが理解できます。
すべては、成り行きだとしても、
次の進化はある細胞が、自分では知ることが出来ない隣の細胞に情報を伝える手段を持つということです。
何を伝えようとしたのかはともかく、隣の細胞に情報を伝える手段は、
後に神経系として動物が動物たる重要な要素として発展していきます。
もちろん情報を伝える手段は神経だけではなく、ホルモンによるもの等他の手段もあるわけですが、
ここでは、意識との相関が深い神経系の発展について考えてみたいと思います。
この神経がさらに複雑な繋がりを持ちさらに細かい情報伝達の手段を持ったのが脳細胞です。
一個一個の脳細胞は最小単位の意識しか持たないわけですが、
それらが集合したときもう一つの意識が生まれます。
人で云えば、今我々が認識している意識です。
我々は脳細胞全体としての意識は認識できますが、
最小単位である細胞1個の意識は認識する事が出来ません。
それどころか、どこが認識しているのか、その場所さえ認識できず、
以前はその場所をハートだと思っていたのです。
さらに、一個だと思っている意識も実は疑わしい状況になってきました。
多重人格の世界では、意識の重複が認められています。
私の考えでは、脳神経のネットワークの組み方でいくらでも複数の意識が存在可能ではないかと思っています。
それどころか、今自分が認識している意識ですら、
本当に1個であるのか複数なのか自分では判断出来ないのではないかと思います。
もともと意識は無数存在しているけど、その方向性が同じなので一個だと勝手に判断しているのではないかと思います。
さらに意識の世界では自分では認識が出来ない潜在意識の世界も解明され始めています。
サブリミナルという言葉を聞いたことがあるでしょうか?
潜在意識では、通常意識が認識できない一瞬の出来事を克明に記憶することが出来ます。
この生命の進化に目的があるかと考えたとき、
ダーウィンの進化論ではこれらの進化は、
突然変異と自然淘汰の2つの意志なき結果によるものと説明されます。

しかしながら、この意識の世界 無意識の世界を探究していくうちにどうも進化は、
偶然によるものだけでは無いと思えるようになりました。
腕力の強いもの勝ち 生命力 生殖力の強いもの勝ちの世界では、
今の世界は産まれ得ないはずです。
そのために合理的であるのは、共食い(しかも兄弟での) 
あるいは自己喰いも生命維持のため平気でする世界です。
しかしなぜ そのようなおぞましい世界にならなかったのかというと、
細胞1個が持つ小さい意識が関与していそうです。
免疫システムで良く分かることですが、細胞は、同類同族意識を常に認識するようです。


私のたぶんに宗教的考えによると、
細胞の小さな意識が、ある方向性を持ったときに一つの上位意識が新たに生まれると思っています。
細胞一個一個は、小さな生命を宿していますが、それらの生命とは次元の違う生命の誕生です。
これは、意識と云う意味でも生命という意味でも画期的なものであり、また神秘的なものでもあります。
この意識は、従来の細胞1個の意識に対して、かなりスーパーな力を有し、
細胞の中の王であり、命令権を持っています。
行動も従来の枠を遥かに越え今までと違う独自の行動も出来るようになります。
これこそが、我々が一般的に意識といい、生命といっているものです。
そして、何兆 何十兆もの細胞がその意識の命令の元、喜んで行動を起こすのです。
我々が手足を動かし、自由に移動したり、言葉を発せるのもすべてこの命令形態があるからです。
このようにして、今の我々があるわけですが、進化の最終に位置する訳ではありません。

ここでは、強く断言させて貰いますが、次の進化があるのです。
これまで述べてきたように進化には、
DNAの変化と意識の変化(この変化は進化のこと)の2種がありその2つが複雑に絡み合っていますが、
次にわれわれが経験する進化は、意識の進化であると感じています。
意識はDNA進化に関与しDNA進化はさらに意識に関与するというように2つが関与しあっていると思います。
今人類は50憶を数えようとしていますが、
これらの意識のベクトルが揃ったとき、また1つの上位意識が芽生えるのです。
もうその兆しがあるかも知れません。
しかし今の世の中では、あまりにも意識のベクトルがばらばらであり
宗教的にも道徳的にもレベルが低いといわざるえません。
我々のうえに存在する意識は現在分裂症ぎみです。
この新しい意識には潜在意識の世界でコンタクトできます。
この眠れる大いなる意識をどのような形で起こすかということが我々人類の課題であり目的でもあります。

この我々にとっては、偉大な意識のことを私は、宗教的に「すめらみこと」と呼んでいます。
この意識をどう目覚めさせるかが、我々に架せられた課題であり生きる目的でもあります。
善なる清浄な意識にするか、それとも悪の暗い意識にするかは、
我々人類の集合無意識の総意により決定されます。

すめらみことの意識が目覚めたとき、我々は明確に潜在意識を認識できるようになります。
そしてすめらみことの思うままに喜んで行動することになります。
自分のパーソナルの希む方向がすめらみことの希望と喜びとに完全に一致しているからです。
今我々が経験する催眠術は本来すめらみことの人類コントロール手段として用意されているものです。

ここで、認識して欲しいのはこの「すめらみこと」を生み出すことが 如何に我々を幸せに導くかということです。
今この世界において山積みにされている数々の衝突、環境問題、差別等すべてが解決されることになります。


ただ現実的には人類の長い歴史の中でこの上位意識は何度も産声をあげては消えていくことを繰り返しています。
その度にある文明が消えあらたな文明が起こっています。

ちまたに言われるように人類が個々の意識を持ったまま肉体を脱いで霊的進化をするのではなく
個々の意識世界のベクトルを揃える事により潜在世界に新たな生命を育むことが
我々が迎えようとしている新たな進化した世界なのです。

具体的には個人は何を為すべきなのでしょうか?
私は天命に従うのみとしか告げることが出来ません。
人類としての天命と個人としての天命とは同じではあるのでしょうが現れかたには違いが生じます。
人類としての天命は一つの大河ですが、個人の天命の流れは無数の網目をなし複雑に絡まりゆくものです。
従って人の天命を模索するは困難であるとしかいえません。天意に沿うを祈るのみです。
それは人意通りには天命が動かぬ所以です。
人類としての流れを論じることは出来ても
個々人の考え方や行動を限定することが正しい方向なのか、
それが人類のベクトルを揃えることに近づくのかは疑問があります。
明るく前向きに希望を持って自分の役割をまっとうすることに専念することが
一番であると思います。
皆が皆の心を思いやる共存共栄の世界観の実現が待たれます。
そして
神秘を探求し感嘆することが、神への礼賛となることを認識する必要があるでしょう。
人類に共通に根ざす神の祝福を受けるときがすめらみことの誕生の時です。


       

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