健軍神社と霊ライン


健軍神社についてはまず以下内容に目を通していただきたいが、
http://reyline.web.fc2.com/chihenji/hiyoshi.htm

もともとのこのホームページを作るきっかけについては
熊本霊ライン本題のページに記載しているが、ここに再度記載しておく。

筆者が幼少より崇敬する産土神社は健軍神社であったが
この神社の拝殿右横に天社神社という摂社(末社)がある。
祀神は不明であるが近所の社がいつのころか併合されたという話だ。
宮司は「伝承で『おふどうさん』と呼ばれていました。」と教えてくれた。
おふどうさんといえば、不動明王を想像するが、そんな訳がない。
実は後になってこの天社神社の祀神に導かれて
今回の調査が始まったんだと言うことに気づかされた。
この熊本市西に高橋東神社というのがある。
筆者の自宅からは車で5分の距離である。
ここに樹齢1300年の楠木(くすのき)があり
市指定の天然記念物となっている。
ここの正式な名称は天社宮と呼ばれ
前述の肥後国司道君首名を祀っている。
この道君首名は713/8/26 和銅6年に筑後肥後守となっている。
そして718/4/11 養老2年 56歳で没している。
つまり九州滞在は5年間ということになる。
この間善政をしいただけでなく農業指導も行い
この池上の地に味生池(あじういけ)を作り灌漑を進めている。
歿後にこの高橋の地に天社宮として祭祀されている訳だが
古くは、熊本から筑後にかけて「おぶとさん」として信仰があったようだ。
その道君首名を祭る天社宮の一つが
健軍神社に天社神社として合祀されていたという訳らしい。
つまり「おびとさん」が「おぶとさん」になり
最後は「おふどうさん」に勘違いされてしまったとうことだろう。


実はこれを書いた時には、筆者の記憶から消えていたが
ある時にこの健軍神社に移設されたもとの天社神社について
ふと35年前にあった健軍神社裏手の祠を思い出した。
それは小さな丘の頂上付近に有って、
右手が竹やぶで左に民家が数件ならぶ狭い道を
登っていくとそこにその祠が存在した。
昼でも薄暗く祠の前には裸電球が灯っていた。
ここは小学校の帰りに時々通る道だったが、ある学友は怖がっていた。
ここで小学校4年か5年の時に神秘体験をして
それでこの祠に姉を連れて行った思い出がある。
もしかしてあの祠が天社神社ではなかろうかと思って
その祠があった場所を探したが区画整理されている上に
記憶があいまいで特定出来なかった。

健軍神社のホームページが出来て
そこに天社神社の記載があった

由緒は不詳。通称「お不動さん」とも呼ばれます。
健軍神社東北約300mの高台に創建された神社でありますが、
区画整理事業により昭和54年健軍神社境内地へ移築鎮座されました。
平成3年の台風により倒壊したので現在置に鎮座再建。

と記載されていたので健軍神社東北300mのところを探してみた。




ところが東北の方角では僕が思っていた祠とはかなり位置が違うことが分かった。




ちょうど上記地図のローソン ドラッグイレブンの下の番地20は公園になっていて
ゲートボールを地元の方がされていたので祠について聞いてみたけど残念ながら
みなさん誰も知らないようだった。






周辺を散策していると、上図の天神ハイツの右下も公園になっていて公民館があった。
行ってみるとちょうど集会が終わったところで人が複数人出てきたので祠について聞いてみた。
そのなかの一人からここらあたりの地主の○○さんなら知っているだろうということで
その方の家の場所を聞いたので、その家に伺ってみた。
その結果やはり思っていた祠が天社神社であることが分かった。
その夫婦はあの祠は「おふどうさん」と思い込まれていた。
場所についてはブルーマークあたりになるそうだ。
話を聞くとこの丘あたりは天神山と呼ばれていたそうだ。
地図上で下方向にある「天神ハイツ」もそこから取られた名前だろうと思われる

少彦名神考察で述べているが天神といえば少彦名神由来であることが想像出来る。
やはりこの天社神社の祭神は少彦名神と道君首名であるのは間違いなかろうと思える。
健軍神社からは東北300mというよりほぼ東方向225mが正しい方向だった。

さて健軍神社の参道は普賢岳方向に伸び健軍神社の社も普賢岳を向いているのは
地図を見れば誰でも気づくがこの天社神社もその線上に乗っている。
もしこの神社と山を築いたのが道君首名公だとすると
その目的はもう一つの霊ライン構築といえよう。









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