天子宮 天社宮 天使宮 ガイド



熊本県には「天子宮」と名付けられた社(やしろ)がいくつか存在している。
京都にある少彦名神を祭祀する「五条天神社」は「天使宮もしくは天使社」と呼ばれているが
熊本の「小天天子宮」のほうが間違いなく創建が古い(713年)ことを考えると
この京都の「天使宮」ももとは「天子宮」と呼ばれていたと思われる。
天子が天皇を指すようになって天子では恐れ多いということで
天使に付け替えられたと判断して良かろう。

ところでこの天子が何を指すのかは、
小天天子宮の由緒から考えると少彦名神ということになるが
阿蘇方面の大津町の「天子宮」の由緒書きでは、祭神が景行天皇となっていて
もし713年より創建が古ければもともとの天子の指すものは景行天皇ということになる。
しかしながら大津町の天子宮では菅原道真が平祀されているし
人吉の天子宮はそばに山中にもかかわらずゑびす信仰が根付いていて
それらを考慮するとやはり道君首名公による祭祀由来の少彦名神と考えるのが筋だと思える。

現在天子宮は小天天子宮を除いて信仰が廃れ風前の灯となっているので
ここに記録を残したいと思う。


小天天子宮は 
http://www1.bbiq.jp/sukunahikona/shoutenn.htm


玉名田崎天子宮  
http://www.its-mo.com/y.htm?m=E130.36.18.606N32.54.57.012&l=11
玉名から国道208号線を3号線に向かって走り田崎の交差点で県道170号線へ右折して
50m先の左手(東側)に鳥居が見つかる。奥が田崎公民館になっている。


大津森天子宮  大津吹田天子宮
大津のこの二つの天子宮は近接していてほぼ同じ祭神を祀り同じ頃に作られたと思われる。
由緒書きによると景行天皇の行幸を記念して作られた神社ということになっている。
この由緒書きが正しいのかどうか、
あるいはこれをもとに景行天皇の行幸があったと言っていいものかどうかは疑問が残る。
ただ菊池郡平眞城(ひらまき)の山中に景行天皇を祭祀した祠があり大王宮と呼ばれているという記載が
肥後史談(平野流香著 昭和2年発行)に残っている。
この平眞城という地名は現在の大津の本田技研裏あたりかと思われるが
同じ大津地域で大王宮と呼ばれたり天子宮と呼ばれていることには疑問が残る。
どちらかというと景行天皇は大王と呼ばれた時代の人ではなかろうか?
同じく大津の岩戸渓谷の山中の岩戸神社に少彦名神 大國主命が祭祀されているのが
人里離れている故か神名が変わることなく残っていること(菊池誌に記載)を考えると
この大津天子宮も少彦名神祭祀故の名前かもしれない。



熊本高橋東神社 天社宮
道君首名公を祭祀しているという記録が残るが、
長老(総代)によると少彦名神 大國主命を祭祀しているとのこと。
2006年時点では5月に人形供養が行われている。


健軍神社内摂社 天社神社 元は別のところに祭祀されていたものを境内に移転。
道君首名公を祭祀している。



人吉の天子宮及び天子という地名に関しては
荒木精之 外3名著 熊本の伝説 日本の伝説26 角川書店P16〜17に詳しい。
「九州の屋根」 
合戦の峰から南に2キロほどで人吉に入るが、芦原に天子という石の小祠がある。
http://www.its-mo.com/y.htm?m=E130.46.0.413N32.13.34.294&l=10
熊襲征伐にちなむもので、
肥薩の国境に高くそびゆる白髪岳(1416メートル)や狗留孫一帯に住んでいたという
熊襲を討つために景行天皇が軍を進められ、ここで休息されたところであるという。
掃討戦は一か月に及び、天皇は「五月の壬辰の朔に、芦北より発船したまひて」火国に来ておられる。
ところで、球磨郡内には芦原の天子のほかにも十二か所の天子がある。
上村字麓の天子、
上村字石坂の天子、
上村字塚脇の天子、
免田町久鹿の天子、→20061022確認済み
多良木町牛島の天子、
深田村草津山の天子神社、→20061022確認済み
錦町一武字本別府の天子
および御手洗(みたらし)
錦町木上字平良の天子神社、
相良村柳瀬字三石の天子、
山江村字山田合戦峰の天子、→20061022調査するも不明
山江村城内の天子、
人吉市中神町古屋敷の天子

いずれも景行天皇の足跡を意味するものであろうが、天子でなく、天下という地名がさらに二か所あるからおもしろい。
一つは、装飾吉墳で有名な錦町京ケ峰の天下神社で、あと一つは人吉市原田の天下山である。
そして天下を土地の人は「アモイ」とよんでいる。
これは万葉集に「久方の天の門開き、高千穂の、嶽に阿毛理(天降り)し、
すめろぎの、神の御代よ(以下略)」とあるように、
神が天から降りたったところという天降りがいつのまにか「アモイ」に転訛したのではないかと思われる。


荒木精之氏はこの天子を素直に景行天皇の足跡と言われているが
実際はどうなのか自分ももう少し確かめたいと思っている。
景行天皇と確信できればそれはそれで大いなる成果となろう。
九州に景行天皇の足跡は無数にあるが正史的には景行天皇の実在は疑問視されている。


人吉球磨で天子宮を探してきた。
まずは合戦の峰あたりで芦原の天子を探したがここは残念ながら見つけることが出来なかった。
球磨郡あさぎり町深田西草津山の「天子の水公園」の湧き水は甘い味で美味だ。
ここから歩いて5分のところに天子神社はある。
この神社に参拝していると社の後ろが気になったので回ってみた。
どうもここは塚になっているようだ。
山神の石碑が残っている。
ここから車で15分掛からない免田町久鹿(くしか)に
天子神社がある。
ここには由緒書きがあった。
祭神は景行天皇 
熊襲 御親征の折 輦駕(れんが)を止められた所。
神社西下の湧水池は「御手洗湧川」といい景行天皇が御手水とされたといわれている。

多良木町には恵比寿神社がありえびす物産館を中心にゑびすをシンボルとした町つくりがなされている。
この恵比寿神社であるが由緒書によると明治36年10月に元町から現在地に移されたらしい。
ただ恵比寿の神が少彦名神なのかどうかについては確認できなかった。

多良木の王宮神社
祭神は神武天皇
神武天皇の神霊を807年に多良木の源島に勧請してその後現在地に遷座している。 
勧請したのは多良木の久米蓑毛在住の日向国出身の土持太郎 田部忠綱の二名。 
最初は「天子のみたまや」(帝廟)と呼ばれていたそうである。
この天子のみたまやは天子宮と同義語であろう。
人吉の数ある天子宮はこの天子のみたまや(祭神 神武天皇)由来の可能性も高いように思える。
吉田の確率予想 神武天皇由来40% 道君首名公由来30% 景行天皇由来20% 多利思比孤由来10%









※ 人吉のゑびす関係

球磨郡多良木町の多良木恵比寿神社

http://www.kumashoko.or.jp/taragi/top.htm


大畑恵比寿神社 人吉市  「ひゅうはぎ市」がある。

淡嶋神社 球磨郡山江村万江乙180-2
祭神は少那毘古那 
明治11年に民家の邸内にあったものを一堂を作り安置したとのこと。



人吉球磨はそうじて少彦名神系ゑびすだけあってひな祭りもさかんです。
人吉の夫婦えびす このゑびすの姿はゑびすの一般的姿とは違い公家さんのようにみえる。



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