天社宮 (高橋西神社)ガイド




筆者が天社宮に最初参拝してから約3年が経過している。
偶然、車で走っていて橋の上から見える祠と大木に興味が引かれて
道を曲がり天社宮に参拝したのだけど
その時ここが少し前より探していた道君首名公を祀った神社だと知った。

持っている地図にも鳥居マークの記載が無かった。

最初の印象は少し荒れた神社という印象だった。
ところがその後味噌天神に参拝したり
またここも何度か通ううちにこの神社に祭祀されている御神霊は
道君首名公の一柱のみではなく
味噌天神と同じく醫祖天神である少彦名神も祀られていることを感じた。
その後
小天天子宮を知るに当たりこの天社宮の祭神は
大國主命 少彦名神 道君首名公の三柱と確信するに至った。
道君首名公は農業のパイオニアといわれるだけあって
もともとは農民により五穀豊穣を祈願し存続した祠であるとは思うが
この祠には規模とは別に隠れた大いなる役割があることを理解した。

表面的には学問(律法)と五穀豊穣 そして医薬に御利益がある神社と
言えようが長らく祭祀日にしか神霊の降臨しない神社となっていたようだ。
熊本霊ラインの活性化活動と共にこの社に参拝し続けたが
神柱が立ち霊流が通うまで3年の月日が掛かった。

そして分かったのだが、この地は非常に重要な神域であり
この社の地は個人や地域を越えて
国家的なことを祈願する神域だといえよう。

京都でも歴史が古いといわれるのは賀茂神社であるが
このうち下鴨神社には糺の森と呼ばれる原生林がある。
ここは高野川と加茂川の合流する三角州に位置するが
この地は足を運べば分かるが霊氣の高まる地である。
この霊氣は南方 つまり奈良方面へ向かっている。
この熊本の天社宮もやはり井芹川と坪井川の合流する三角州に位置する。
この二つの川は独鈷山を挟んで流れこの地は氣が集中するところである。
ところでこの独鈷山の先には
熊本霊ラインの氣の流れをじゃまする金峰山からの霊氣を溜め
霊ラインに作用させるべく道君首名公が味生池を造っている。

筆者は最初 味噌天神の祭神と賀茂御祖神社との関連を疑い調べたのであるが
実際には味噌と御祖から同じ祭神を結びつけることは出来なかった。
しかしながら賀茂御祖神社と天社宮に似た役割を感じた。

天社宮は熊本霊ラインというだけでなく
中央構造線の西の端の地となり霊的には西の要(かなめ)となっている。
これに思いをはせたときに東の端である諏訪の本地神までもが繋がった。
今は小さな神社ではあるが太古より神域として崇敬されてきた地といえる。

                                                 200609記載




天社宮jpg地図


この写真は北向きに撮っているので神殿は南を向いていることになる。
ただ立て替える前の礎石が残っていて向きが違っている。
たぶん以前は霊ライン方向を向いていたと思われる。
熊本の神社には必ず猿田彦大神の石柱が立っている
立て替える前の礎石  20度程度傾いている 拝殿の賽銭箱とボン字 賽銭ドロ避けのまじない?
このクスの木は道君首名公没後すぐに植えられたと考えると
樹齢1300年
ということになる。
特筆すべきは右回りにねじれながら成長しているように見えること。
正面には大きく瘤が張り出している。






天社宮の拝殿の向き考察

建替え前の礎石が故意にか残されている。
現在は南向きに建てられているが
これは本来のこの神社の役割を隠すこととなった。


礎石から察するに過去のこの社の向きは
東北東 (磁北65度程度)であったと考えられる。
熊本霊ライン数値関係で報告したとおり
現在の霊ライン角度は60.8度であるが
道君首名公時代のレイラインは夏至方向(60度)もしくは
平城京の方位(64.5度)であったと考えている。
この65度の方位は平城京の方位にほぼ一致する。




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